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中国河南省 龍門石窟 正法眼蔵(抜粋)

現成公案

弁 道 話

佛  性


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◆ 『正法眼蔵』現成公案巻
永平道元(1200-54)著

 『正法眼蔵』現成公案巻   永平道元(1200-54)著
    現成公案

 諸法の佛法なる時節、すなわち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり。
 万法ともにわれにあらざる時節、まどいなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。
 佛道もとより豊倹より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。
 しかもかくのごとくなりといえども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におうるのみなり。
 自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。迷を大悟するは諸佛なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。諸佛のまさしく諸佛なるときは、自己は諸佛なりと覚知することをもちいず。しかあれども証佛なり、佛を証しもてゆく。
 身心を挙して色を手取し、身心を挙して声を聴取するに、したしく会取すれども、かがみに影をやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。一方を証するときは一方はくらし。
 佛道をならうというは、自己をならう也。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長々出ならしむ。
 人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離劫せり。法すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本分人なり。
 人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を乱想して万法を弁肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。
 たき木、はいとなる、さらにかえりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといえども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はいとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといわざるは、佛法のさだまれるならいなり。このゆえに不生という。死の生にならざる、法輪のさだまれる佛転なり。このゆえに不滅という。生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとえば、冬と春とのごとし。冬の春となるとおもわず、春の夏となるといわぬなり。
 人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおおきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりをケイ(四+圭)礙せざること、滴露の天月をケイ(四+圭)礙せざるがごとし。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水をケン(検 木→手)点し、天月の広狭を弁取すべし。
 身心に法いまだ参飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。たとえば、船にのりて山なき海中にいでて四方をみるに、ただまろにのみみゆ、さらにことなる相みゆることなし。しかあれど、この大海、まろなるにあらず、方なるにあらず、のこれる海徳つくすべからざるなり。宮殿のごとし、瓔珞のごとし。ただわがまなこのおよぶところ、しばらくまろにみゆるのみなり。かれがごとく、万法もまたしかあり。塵中格外、おおく様子を帯せりといえども、参学眼力のおよぶばかりを見取会取するなり。万法の家風をきかんには、方円とみゆるよりほかに、のこりの海徳山徳おおくきわまりなく、よもの世界あることをしるべし。かたわらのみかくのごとくあるにあらず、直下も一滴もしかあるとしるべし。
 うお水をゆくに、ゆけども水のきわなく、鳥そらをとぶに、とぶといえどもそらのきわなし。しかあれども、うおとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭々に辺際をつくさずという事なく、処々に踏飜せずということなしといえども、鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す。以水為命しりぬべし、以空為命しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修証あり、その寿者命者あること、かくのごとし。
 しかあるを、水をきわめ、そらをきわめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず。このところをうれば、この行李したがいて現成公案す。このみちをうれば、この行李したがいて現成公案なり。このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆえにかくのごとくあるなり。
 しかあるがごとく、人もし佛道を修証するに、得一法、通一法なり、遇一行、修一行なり。これにところあり、みち通達せるによりて、しらるるきわのしるからざるは、このしることの、佛法の究尽と同生し、同参するゆえにしかあるなり。得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならうことなかれ。証究すみやかに現成すといえども、密有かならずしも現成にあらず、見成これ何必なり。
 麻浴山(山西省)宝徹禅師(唐代の人)、おうぎをつかうちなみに、僧きたりてとう、「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚おうぎをつかう」。
 師いわく、「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずということなき道理をしらず」と。
 僧いわく、「いかならんかこれ無処不周底の道理」。
 ときに、師、おうぎをつかうのみなり。
 僧、礼拝す。
 佛法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればおうぎをつかうべからず、つかわぬおりもかぜをきくべきというは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆえに、佛家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。

 これは天福元年(1233)中秋のころ、かきて鎮西の俗弟子楊光秀にあたう。
    建長壬子(1252)拾勒


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◆ 『正法眼蔵』弁道話巻
永平道元(1200-53)著

 『正法眼蔵』弁道話巻   永平道元(1200-53)著
    弁道話

 諸佛如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなわち自受用三昧、その標準なり。
 この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。この法は、人々の分上にゆたかにそなわれりといえども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきわならんや。かたればくちにみつ、縦横きわまりなし。諸佛のつねにこのなかに住持たる、各々の方面に知覚をのこさず。群生のとこしなえにこのなかに使用する、各々の知覚に方面あらわれず。
 いまおしうる功夫弁道は、証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超関脱落のとき、この節目にかかわらんや。
 予、発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらいき。ちなみに建仁の全公をみる。あいしたがう霜華すみやかに九廻をへたり。いささか臨済の家風をきく。全公は祖師西和尚の上足として、ひとり無上の佛法を正伝せり。あえて余輩のならぶべきにあらず。
 予、かさねて大宋国におもむき、知識を両浙にとぶらい、家風を五門にきく。ついに太白峰の浄禅師に参じて、一生参学の大事ここにおわりぬ。それよりのち、大宋紹定のはじめ、本郷にかえりしすなわち、弘法救生をおもいとせり。なお重担をかたにおけるがごとし。
 しかあるに、弘通のこころを放下せん激揚のときをまつゆえに、しばらく雲遊萍寄して、まさに先哲の風をきこえんとす。ただし、おのづから名利にかかわらず、道念をさきとせん真実の参学あらんか、いたづらに邪師にまどわされて、みだりに正解をおおい、むなしく自狂にえうて、ひさしく迷郷にしづまん、なにによりてか般若の正種を長じ、得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、いづれの山川をかとぶらわん。これをあわれむゆえに、まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持せしを、しるしあつめて、参学閑道の人にのこして、佛家の正法をしらしめんとす。これ真訣ならんかも。いわく、大師釈尊、霊山会上にして法を迦葉につけ、祖々正伝して菩提達磨尊者にいたる。尊者、みづから神丹国におもむき、法を慧可大師につけき。これ東地の佛法伝来のはじめなり。
 かくのごとく単伝して、おのづから六祖大鑑禅師(慧能)にいたる。このとき、真実の佛法まさに東漢に流演して、節目にかかわらぬむねあらわれき。ときに六祖に二位の神足ありき。南嶽(湖南省)の懐譲(677-744)と青原(江西省)の行思(?-740)となり。ともに佛印を伝持して、おなじく人天の導師なり。その二派の流通するに、よく五門ひらけたり。いわゆる法眼宗・イ(サンズイ+為)仰宗・曹洞宗・雲門宗・臨済宗なり。見在、大宋には臨済宗のみ天下にあまねし。五家ことなれども、ただ一佛心印なり。
 大宋国も後漢よりこのかた、教籍あとをたれて一天にしけりといえども、雌雄いまださだめざりき。祖師西来ののち、直に葛藤の根源をきり、純一の佛法ひろまれり。わがくにも又しかあらん事をこいねがうべし。
 いわく、佛法を住持せし諸祖ならびに諸佛、ともに自受用三昧に端坐依行するを、その開悟のまさしきみちとせり。西天東地、さとりをえし人、その風にしたがえり。これ、師資ひそかに妙術を正伝し、真訣を稟持せしによりてなり。
 宗門の正伝にいわく、この単伝正直の佛法は、最上のなかに最上なり。参見知識のはじめより、さらに焼香・礼拝・念佛・修懺・看経をもちいず、ただし打坐して身心脱落することをえよ。
 もし人、一時なりというとも、三業に佛印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな佛印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。ゆえに、諸佛如来をしては本地の法楽をまし、覚道の荘厳をあらたにす。および十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄にして、大解脱地を証し、本来面目現ずるとき、諸法みな正覚を証会し、万物ともに佛身を使用して、すみやかに証会の辺際を一超して、覚樹王に端坐し、一時に無等々の大法輪を転じ、究竟無為の深般若を開演す。
 これらの等正覚、さらにかえりてしたしくあい冥資するみちかようがゆえに、この坐禅人、確爾として身心脱落し、従来雑穢の知見思量を截断して、天真の佛法に証会し、あまねく微塵際そこばくの諸佛如来の道場ごとに佛事を助発し、ひろく佛向上の機にこうぶらしめて、よく佛向上の法を激揚す。このとき、十方法界の土地草木、牆壁瓦礫みな佛事をなすをもて、そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら、みな甚妙不可思議の佛化に冥資せられて、ちかきさとりをあらわす。この水火を受用するたぐい、みな本証の佛化を周旋するゆえに、これらのたぐいと共住して同語するもの、またことごとくあいたがいに無窮の佛徳そなわり、展転広作して、無尽、無間断、不可思議、不可称量の佛法を、遍法界の内外に流通するものなり。しかあれども、このもろもろの当人の知覚に昏ぜざらしむることは、静中の無造作にして直証なるをもてなり。もし、凡流のおもいのごとく、修証を両段にあらせば、おのおのあい覚知すべきなり。もし覚知にまじわるは証則にあらず、証則には迷情およばざるがゆえに。
 又、心境ともに静中の証入・悟出あれども、自受用の境界なるをもて、一塵をうごかさず、一相をやぶらず、広大の佛事、甚深微妙の佛化をなす。この化道のおよぶところの草木土地、ともに大光明をはなち、深妙法をとくこと、きわまるときなし。草木牆壁はよく凡聖含霊のために宣揚し、凡聖含霊はかえつて草木牆壁のために演暢す。自覚覚他の境界、もとより証相をそなえてかけたることなく、証則おこなわれておこたるときなからしむ。
 ここをもて、わづかに一人一時の坐禅なりといえども、諸法とあい冥し、諸時とまどかに通ずるがゆえに、無尽法界のなかに、去来現に、常恒の佛化道事をなすなり。彼々ともに一等の同修なり、同証なり。ただ坐上の修のみにあらず、空をうちてひびきをなすこと、撞の前後に妙声綿々たるものなり。このきわのみにかぎらんや、百頭みな本面目に本修行をそなえて、はかりはかるべきにあらず。
 しるべし、たとい十方無量恒河沙数の諸佛、ともにちからをはげまして、佛智慧をもて、一人坐禅の功徳をはかりしりきわめんとすというとも、あえてほとりをうることあらじ。
(第一問)
 いまこの坐禅の功徳、高大なることをききおわりぬ。おろかならん人、うたがうていわん、佛法におおくの門あり、なにをもてかひとえに坐禅をすすむるや。
 しめしていわく、これ佛法の正門なるをもてなり。
(第二問)
 とうていわく、なんぞひとり正門とする。
 しめしていわく、
大師釈尊、まさしく得道の妙術を正伝し、又三世の如来、ともに坐禅より得道せり。このゆえに正門なることをあいつたえたるなり。しかのみにあらず、西天東地の諸祖、みな坐禅より得道せるなり。ゆえにいま正門を人天にしめす。
(第三問)
 とうていわく、あるいは如来の妙術を正伝し、または祖師のあとをたづぬるによらん、まことに凡慮のおよぶにあらず。しかはあれども、読経・念佛はおのづからさとりの因縁となりぬべし。ただむなしく坐してなすところなからん、なにによりてかさとりをうるたよりとならん。
 しめしていわく、なんぢいま諸佛の三昧、無上の大法を、むなしく坐してなすところなしとおもわん、これを大乗を謗ずる人とす。まどいのいとふかき、大海のなかにいながら水なしといわんがごとし。すでにかたじけなく、諸佛自受用三昧に安坐せり。これ広大の功徳をなすにあらずや。あわれむべし、まなこいまだひらけず、こころなおえいにあることを。
 おおよそ諸佛の境界は不可思議なり。心識のおよぶべきにあらず。いわんや不信劣智のしることをえんや。ただ正信の大機のみ、よくいることをうるなり。不信の人は、たといおしうともうくべきことかたし。霊山になお退亦佳矣のたぐひあり。おおよそ心に正信おこらば修行し参学すべし。しかあらずは、しばらくやむべし。むかしより法のうるおいなきことをうらみよ。
 又、読経・念佛等のつとめにうるところの功徳を、なんぢしるやいなや。ただしたをうごかし、こえをあぐるを佛事功徳とおもえる、いとはかなし。佛法に擬するにうたたとおく、いよいよはるかなり。又、経書をひらくことは、ほとけ頓漸修行の儀則ををしえおけるを、あきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめんとなり。いたづらに思量念度をついやして、菩提をうる功徳に擬せんとにはあらぬなり。おろかに千万誦の口業をしきりにして佛道にいたらんとするは、なおこれながえをきたにして、越にむかわんとおもわんがごとし。又、円孔に方木をいれんとせんとおなじ。文をみながら修するみちにくらき、それ医方をみる人の合薬をわすれん、なにの益かあらん。口声をひまなくせる、春の田のかえるの、昼夜になくがごとし、ついに又益なし。いわんやうかく名利にまどわさるるやから、これらのことをすてがたし。それ利貪のこころはなはだふかきゆえに。むかしすでにありき、いまのよになからんや。もともあわれむべし。
 ただまさにしるべし、七佛の妙法は、得道明心の宗匠に、契心証会の学人あいしたがうて正伝すれば、的旨あらわれて稟持せらるるなり。文字習学の法師のしりおよぶべきにあらず。しかあればすなわち、この疑迷をやめて、正師のをしえにより、坐禅弁道して、諸佛自受用三昧を証得すべし。
(第四問)
 とうていわく、いまわが朝につたわれるところの法華宗・華厳教、ともに大乗の究竟なり。いわんや真言宗のごときは、毘盧遮那如来したしく金剛薩タ(土+垂)につたえて師資みだりならず。その談ずるむね、即心是佛、是心作佛というて、多劫の修行をふることなく、一座に五佛の正覚をとなう、佛法の極妙というべし。しかあるに、いまいうところの修行、なにのすぐれたることあれば、かれらをさしおきて、ひとえにこれをすすむるや。  しめしていわく、しるべし、佛家には教の殊劣を対論することなく法の浅深をえらばず、ただし修行の真偽をしるべし。草花山水にひかれて佛道に流入することありき、土石沙礫をにぎりて佛印を稟持することあり。いわんや広大の文字は万象にあまりてなおゆたかなり、転大法輪又一塵にをさまれり。しかあればすなわち、即心即佛のことば、なおこれ水中の月なり、即坐成佛のむね、さらに又かがみのうちのかげなり。ことばのたくみにかかわるべからず。いま直証菩提の修行をすすむるに、佛祖単伝の妙道をしめして、真実の道人とならしめんとなり。
 又、佛法を伝授することは、かならず証契の人をその宗師とすべし。文字をかぞうる学者をもてその導師とするにたらず。一盲の衆盲をひかんがごとし。いまこの佛祖正伝の門下には、みな得道証契の哲匠をうやまいて、佛法を住持せしむ。かるがゆえに、冥陽の神道もきたり帰依し、証果の羅漢もきたり問法するに、おのおの心地を開明する手をさづけずということなし。余門にいまだきかざるところなり。ただ、佛弟子は佛法をならうべし。
 又しるべし、われらはもとより無上菩提かけたるにあらず、とこしなえに受用すといえども、承当することをえざるゆえに、みだりに知見をおこす事をならいとして、これを物とおうによりて、大道いたづらに蹉過す。この知見によりて、空花まちまちなり。あるいは十二輪転、二十五有の境界とおもい、三乗五乗、有佛無佛の見、つくる事なし。この知見をならうて、佛法修行の正道とおもうべからず。しかあるを、いまはまさしく佛印によりて万事を放下し、一向に坐禅するとき、迷悟情量のほとりをこえて、凡聖のみちにかかわらず、すみやかに格外に逍遥し、大菩提を受用するなり。かの文字の筌テイ(四+弟)にかかわるものの、かたをならぶるにおよばんや。
(第五問)
 とうていわく、三学のなかに定学あり、六度のなかに禅度あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍をわかず修行す。いまの坐禅も、そのひとつなるべし、なにによりてか、このなかに如来の正法あつめたりというや。
 しめしていわく、いまこの如来一大事の正法眼蔵、無上の大法を、禅宗となづくるゆえに、この問きたれり。
 しるべし、この禅宗の号は、神丹以東におこれり、竺乾にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあいだ、道俗いまだ佛正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門となづけき。のち代々の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といいき。いまのよには、坐のことばを簡して、ただ禅宗というなり。そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および三学の禅定にならべていうべきにあらず。
 この佛法の相伝の嫡意なること、一代にかくれなし。如来、むかし霊山会上にして、正法眼蔵涅槃妙心、無上の大法をもて、ひとり迦葉尊者にのみ付法せし儀式は、現在して上界にある天衆、まのあたりみしもの存ぜり、うたがうべきにたらず。おおよそ佛法は、かの天衆、とこしなえに護持するものなり、その功いまだふりず。
 まさにしるべし、これは佛法の全道なり、ならべていうべき物なし。
(第六問)
 とうていわく、佛家なにによりてか、四儀のなかに、ただし坐にのみおおせて禅定をすすめて証入をいうや。
 しめしていわく、むかしよりの諸佛、あいつぎて修行し、証入せるみち、きわめしりがたし。ゆえをたづねば、ただ佛家のもちいるところをゆえとしるべし。このほかにたづぬべからず。ただし、祖師ほめていわく、「坐禅はすなわち安楽の法門なり」。はかりしりぬ、四儀のなかに安楽なるゆえか。いわんや、一佛二佛の修行のみちにあらず、諸佛諸祖にみなこのみちあり。
(第七問)
 とうていわく、この坐禅の行は、いまだ佛法を証会せざらんものは、坐禅弁道してその証をとるべし。すでに佛正法をあきらめえん人は、坐禅なにのまつところかあらん。
 しめしていわく、痴人のまえにゆめをとかず、山子の手には舟棹をあたえがたしといえども、さらに訓をたるべし。
 それ、修証はひとつにあらずとおもえる、すなわち外道の見なり。佛法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆえに、初心の弁道すなわち本証の全体なり。かるがゆえに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもいなかれとおしう、直指の本証なるがゆえなるべし。すでに修の証なれば、証にきわなく、証の修なれば、修にはじめなし。ここをもて、釈迦如来・迦葉尊者、ともに証上の修に受用せられ、達磨大師・大鑑高祖、おなじく証上の修に引転せらる。佛法住持のあと、みなかくのごとし。
 すでに証をはなれぬ修あり、われらさいわいに一分の妙修を単伝せる、初心の弁道すなわち一分の本証を無為の地にうるなり。しるべし、修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために、佛祖しきりに修行のゆるくすべからざるとおしう。妙修を放下すれば本証手の中にみてり、本証を出身すれば、妙修通身におこなわる。
 又、まのあたり大宋国にしてみしかば、諸方の禅院みな坐禅堂をかまえて、五百六百および一二千僧を安じて、日夜に坐禅をすすめき。その席主とせる伝佛心印の宗師に、佛法の大意をとぶらいしかば、修証の両段にあらぬむねをきこえき。
 このゆえに、門下の参学のみにあらず、求法の高流、佛法のなかに真実をねがわん人、初心後心をえらばず、凡人聖人を論ぜず、佛祖のをしえにより、宗匠の道をおうて、坐禅弁道すべしとすすむ。
 きかずや祖師のいわく、「修証はすなわちなきにあらず、染汚することはえじ」。
 又いわく、「道をみるもの、道を修す」と。しるべし、得道のなかに修行すべしということを。
(第八問)
 とうていわく、わが朝の先代に、教をひろめし諸師、ともにこれ入唐伝法せしとき、なんぞこのむねをさしおきて、ただ教をのみつたえし。
 しめしていわく、むかしの人師、この法をつたえざりしことは、時節のいまだいたらざりしゆえなり。
(第九問)
 とうていわく、かの上代の師、この法を会得せりや。
 しめしていわく、会せば通じてん。
(第一〇問)
 とうていわく、あるがいわく、「生死をなげくことなかれ、生死を出離するにいとすみやかなるみちあり。いわゆる心性の常住なることわりをしるなり。そのむねたらく、この身体は、すでに生あればかならず滅にうつされゆくことありとも、この心性はあえて滅する事なし。よく生滅にうつされぬ心性わが身にあることをしりぬれば、これを本来の性とするがゆえに、身はこれかりのすがたなり、死此生彼さだまりなし。心はこれ常住なり、去来現在かわるべからず。かくのごとくしるを、生死をはなれたりとはいうなり。このむねをしるものは、従来の生死ながくたえて、この身おわるとき性海にいる。性海に朝宗するとき、諸佛如来のごとく妙徳まさにそなわる。いまはたといしるといえども、前世の妄業になされたる身体なるがゆえに、諸聖とひとしからず。いまだこのむねをしらざるものは、ひさしく生死にめぐるべし。しかあればすなわち、ただいそぎて心性の常住なるむねを了知すべし。いたづらに閑坐して一生をすぐさん、なにのまつところかあらん」。
 かくのごとくいうむね、これはまことに諸佛諸祖の道にかなえりや、いかん。
 しめしていわく、いまいうところの見、またく佛法にあらず。
 先尼外道が見なり。
 いわく、かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知あり、かの知、すなわち縁にあうところに、よく好悪をわきまえ、是非をわきまう。痛痒をしり、苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり。しかあるに、かの霊性は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにむまるるゆえに、ここに滅すとみゆれども、かしこの生あれば、ながく滅せずして常住なりというなり。かの外道が見、かくのごとし。
 しかあるを、この見をならうて佛法とせん、瓦礫をにぎつて金宝とおもわんよりもなおおろかなり。痴迷のはづべき、たとうるにものなし。大唐国の慧忠国師、ふかくいましめたり。いま、心常相滅の邪見を計して、諸佛の妙法にひとしめ、生死の本因をおこして、生死をはなれたりとおもわん、おろかなるにあらずや。もともあわれんべし。ただこれ外道の邪見なりとしれ、みみにふるべからず。
 ことやむことをえず、いまなおあわれみをたれて、なんぢが邪見をすくわば、しるべし、佛法にはもとより身心一如にして、性相不二なりと談ずる、西天東地おなじくしれるところ、あえてたがうべからず。いわんや常住を談ずる門には万法みな常住なり、身と心とをわくことなし。寂滅を談ずる門には諸法みな寂滅なり。性と相とをわくことなし。しかあるを、なんぞ身滅心常といわん、正理にそむかざらんや。しかのみならず、生死はすなわち涅槃なりと覚了すべし。いまだ生死のほかに涅槃を談ずることなし。いわんや、心は身をはなれて常住なりと領解するをもて、生死をはなれたる佛智に妄計すというとも、この領解智覚の心は、すなわちなお生滅して、またく常住ならず。これ、はかなきにあらずや。
 嘗観すべし、身心一如のむねは、佛法のつねの談ずるところなり。しかあるに、なんぞ、この身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて、生滅せざらん。もし、一如なるときあり、一如ならぬときあらば、佛説おのづから虚妄になりぬべし。又、生死はのぞくべき法ぞとおもえるは、佛法をいとうつみとなる。つつしまざらんや。
 しるべし、佛法に心性大総相の法門というは、一大法界をこめて、性相をわかず、生滅をいうことなし。菩提涅槃におよぶまで、心性にあらざるなし。一切諸法、万象森羅ともにただこれ一心にして、こめずかねざることなし。このもろもろの法門、みな平等一心なり。あえて異違なしと談ずる、これすなわち佛家の心性をしれる様子なり。
 しかあるを、この一法に身と心とを分別し、生死と涅槃とをわくことあらんや。すでに佛子なり、外道の見をかたる狂人のしたのひびきを、みみにふるることなかれ。
(第十一問)
 とうていわく、この坐禅をもはらせん人、かならず戒律を厳浄すべしや。
 しめしていわく、持戒梵行は、すなわち禅門の規矩なり、佛祖の家風なり。いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず。
(第十二問)
 とうていわく、この坐禅をつとめん人、さらに真言止観の行をかね修せん、さまたげあるべからずや。
 しめしていわく、在唐のとき、宗師に真訣をききしちなみに、西天東地の古今に、佛印を正伝せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの行をかね修すときかずといいき。まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。
(第十三問)
 とうていわく、この行は、在俗の男女もつとむべしや、ひとり出家人のみ修するか。
 しめしていわく、祖師のいわく、佛法を会すること、男女貴賤をえらぶべからずときこゆ。
(第十四問)
 とうていわく、出家人は、諸縁すみやかにはなれて、坐禅弁道にさわりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して、無為の佛道にかなわん。
 しめしていわく、おおよそ、佛祖あわれみのあまり、広大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を証入せしめんがためなり、人天たれかいらざらんものや。ここをもて、むかしいまをたづぬるに、その証これおおし。しばらく、代宗・順宗の帝位にして、万機いとしげかりし、坐禅弁道して佛祖の大道を会通す。李相国・防相国、ともに輔佐の臣位にはむべりて、一天の股肱たりし、坐禅弁道して佛祖の大道に証入す。ただこれこころざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかかわらじ。又ふかくことの殊劣をわきまうる人、おのづから信ずることあり。いわんや世務は佛法をさうとおもえるものは、ただ世中に佛法なしとのみしりて、佛中に世法なき事をいまだしらざるなり。
 ちかごろ大宋に、馮相公というありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりてみづからをいうに、いわく、
  公事之余喜坐禅、少曾将脇到床眠。
  雖然現出宰宦相、長老之名四海伝。
 これは、宦務にひまなかりし身なれども、佛道にこころざしふかければ、得道せるなり。他をもてわれをかえりみ、むかしをもていまをかがみるべし。
 大宋国には、いまのよの国王大臣、士俗男女、ともに心を祖道にとどめずということなし。武門文家、いづれも参禅学道をこころざせり。こころざすもの、かならず心地を開明することおおし。これ世務の佛法をさまたげざる、おのづからしられたり。
 国家に真実の佛法弘通すれば、諸佛諸天ひまなく衛護するがゆえに、王化太平なり。聖化太平なれば、佛法そのちからをうるものなり。
 又、釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の会下には、リョウ(狩 守→葛)者樵翁さとりをひらく。いわんやそのほかの人をや。ただ正師の教道をたづぬべし。
(第十五問)
 とうていわく、この行は、いま末代悪世にも、修行せば証をうべしや。
 しめしていわく、教家に名相をこととせるに、なお大乗実教には、正像末法をわくことなし。修すればみな得道すという。いわんやこの単伝の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり。証の得否は、修せんもの、おのづからしらんこと、用水の人の冷煖をみづからわきまうるがごとし。
(第十六問)
 とうていわく、あるがいわく、「佛法には、即心是佛のむねを了達しぬるがごときは、くちに経典を誦せず、身に佛道を行ぜざれども、あえて佛法にかけたるところなし。ただ佛法はもとより自已にありとしる、これを得道の全円とす。このほかさらに他人にむかいてもとむべきにあらず。いわんや坐禅弁道をわづらわしくせんや」。
 しめしていわく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいうごとくならば、こころあらんもの、たれかこのむねををしえんに、しることなからん。
 しるべし、佛法はまさに自他の見をやめて学するなり。もし、自己即佛としるをもて得道とせば、釈尊むかし化道にわづらわじ。しばらく古徳の妙則をもてこれを証すべし。
 むかし、則公監院という僧、法眼(文益 885-958)禅師の会中にありしに、法眼禅師、とうていわく、「則監寺、なんぢわが会にありていくばくのときぞ」。
 則公がいわく、「われ師の会にはむべりて、すでに三年をへたり」。
 禅師のいわく、「なんぢはこれ後生なり、なんぞつねにわれに佛法をとわざる」。
 則公がいわく、「それがし和尚をあざむくべからず。かつて青峰の禅師のところにありしとき、佛法におきて安楽のところを了達せり」。
 禅師のいわく、「なんぢいかなることばによりてか、いることをえし」。
 則公がいわく、「それがしかつて青峰にといき、「いかなるかこれ学人の自己なる」。青峰のいわく、「丙丁童子来求火」」。
 法眼のいわく、「よきことばなり。ただし、おそらくはなんぢ会せざらんことを」。
 則公がいわく、「丙丁は火に属す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと会せり」。
 禅師のいわく、「まことにしりぬ、なんぢ会せざりけり。佛法もしかくのごとくならば、きょうまでにつたわれじ」。
 ここに則公、懆悶して、すなわちたちぬ。中路にいたりておもいき、禅師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり。わが非をいさむる、さだめて長処あらん。禅師のみもとにかえりて懺悔礼謝してとうていわく、「いかなるかこれ学人の自己なる」。
 禅師のいわく、「丙丁童子来求火」と。
 則公、このことばのしたに、おおきに佛法をさとりき。
 あきらかにしりぬ、自己即佛の領解をもて佛法をしれりというにはあらずということを。もし自己即佛の領解を佛法とせば、禅師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず。ただまさに、はじめ善知識をみんより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅弁道して、一知半解を心にとどむることなかれ。佛法の妙術、それむなしからじ。
(第十七問)
 とうていわく、乾唐の古今をきくに、あるいはたけのこえをききて道をさとり、あるいははなのいろをみてこころをあきらむる物あり、いわんや、釈迦大師は、明星をみしとき道を証し、阿難尊者は、刹竿のたおれしところに法をあきらめしのみならず、六代よりのち、五家のあいだに、一言半句のしたに心地をあきらむるものおおし。かれらかならずしも、かつて坐禅弁道せるもののみならんや。
 しめしていわく、古今に見色明心し、聞声悟道せし当人、ともに弁道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるべし。
(第十八問)
 とうていわく、西天および神丹国は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、佛法を教化するに、いとはやく会入す。我朝は、むかしより人に仁智すくなくして、正種つもりがたし。蕃夷のしからしむる、うらみざらんや。又このくにの出家人は、大国の在家人にもおとれり。挙世おろかにして、心量狭少なり。ふかく有為の功を執して、事相の善をこのむ。かくのごとくのやから、たとい坐禅すというとも、たちまちに佛法を証得せんや。
 しめしていわく、いうがごとし。わがくにの人、いまだ仁智あまねからず、人また迂曲なり。たとい正直の法をしめすとも、甘露かえりて毒となりぬべし。名利にはおもむきやすく、惑執とらけがたし。しかはあれども、佛法に証入すること、かならずしも人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず。佛在世にも、てまりによりて四果を証し、袈裟をかけて大道をあきらめし、ともに愚暗のやから、痴狂の畜類なり。ただし、正信のたすくるところ、まどいをはなるるみちあり。また、痴老の比丘黙坐せしをみて、設斎の信女さとりをひらきし、これ智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、ただしこれ正信にたすけられたり。
 また、釈教の三千界にひろまること、わづかに二千余年の前後なり。刹土のしなじななる、かならずしも仁智のくににあらず。人またかならずしも利智聡明のみあらんや。しかあれども、如来の正法、もとより不思議の大功徳力をそなえて、ときいたればその刹土にひろまる。人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。わが朝は仁智のくににあらず、人に知解おろかなりとして、佛法を会すべからずとおもうことなかれ。いわんや、人みな般若の正種ゆたかなり、ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし。
(以上十八問答END)
 さきの問答往来し、賓主相交することみだりがわし。いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる。しかありとも、このくに、坐禅弁道におきて、いまだその宗旨つたわれず、しらんとこころざさんもの、かなしむべし。このゆえに、いささか異域の見聞をあつめ、明師の真訣をしるしとどめて、参学のねがわんにきこえんとす。このほか、叢林の規範および寺院の格式、いましめすにいとまあらず、又草々にすべからず。
 おおよそ我朝は、龍海の以東にところして、雲煙はるかなれども、欽明・用明の前後より秋方の佛法東漸する、これすなわち人のさいわいなり。しかあるを名相事縁しげくみだれて、修行のところにわづらう。いまは破衣トツ(綴 糸→衣)盂を生涯として、青巌白石のほとりに茅をむすんで端坐修練するに、佛向上の事たちまちにあらわれて、一生参学の大事すみやかに究竟するものなり。これすなわち龍牙の誡勅なり、鶏足の遺風なり。その坐禅の儀則は、すぎぬる嘉禄(1225-1227)のころ撰集せし「普勧坐禅儀」に依行すべし。
 曾礼、佛法を国中に弘通すること、王勅をまつべしといえども、ふたたび霊山の遺嘱をおもえば、いま百万億刹に現出せる王公相将、みなともにかたじけなく佛勅をうけて、夙生に佛法を護持する素懐をわすれず、生来せるものなり。その化をしくさかい、いづれのところか佛国土にあらざらん。このゆえに、佛祖の道を流通せん、かならずしもところをえらび縁をまつべきにあらず、ただ、きょうをはじめとおもわんや。
 しかあればすなわち、これをあつめて、佛法をねがわん哲匠、あわせて道をとぶらい雲遊萍寄せん参学の真流にのこす。
ときに、寛喜辛卯(1231)中秋日              入宋伝法沙門道元記


正法眼蔵(抜粋) → 現成公案  → 弁道話  → 佛 性   ▲ page top


◆ 『正法眼蔵』佛性巻
永平道元(1200-53)著

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※佛性巻中《嶺南人無佛性(嶺南人は佛性なし)》の語は、人権上注意を要する
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 『正法眼蔵』佛性巻   永平道元(1200-53)著
    佛 性

 釈迦牟尼佛言、「一切衆生、悉有佛性、如来常住、無有変易」。
 これ、われらが大師釈尊の師子吼の転法輪なりといえども、一切諸佛、一切祖師の頂ネイ(寧+頁)眼睛なり。参学しきたること、すでに二千一百九十年〈当日本仁治二年辛丑(1241)歳〉、正嫡わづかに五十代〈至先師天童浄和尚〉、西天二十八代、代々住持しきたり、東地二十三世、世々住持しきたる。十方の佛祖、ともに住持せり。
 世尊道の「一切衆生、悉有佛性」は、その宗旨いかん。是什麼物恁麼来の道転法輪なり。あるいは衆生といい、有情といい、群生といい、群類という。
 悉有の言は衆生なり、群有也。すなわち悉有は佛性なり。悉有の一悉を衆生という。正当恁麼時は、衆生の内外すなわち佛性の悉有なり。単伝する皮肉骨髄のみにあらず、汝得吾皮肉骨髄なるがゆえに。
 しるべし、いま佛性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は佛語なり、佛舌なり。佛祖眼睛なり、衲僧鼻孔なり。悉有の言、さらに始有にあらず、本有にあらず、妙有等にあらず。いわんや縁有・妄有ならんや。心・境、性・相等にかかわれず。しかあればすなわち、衆生悉有の依正、しかしながら業増上力にあらず、妄縁起にあらず、法爾にあらず、神通修証にあらず。もし衆生の悉有それ業増上および縁起法爾等ならんには、諸聖の証道および諸佛の菩提、佛祖の眼睛も業増上力および縁起法爾なるべし。しかあらざるなり。尽界はすべて客塵なし、直下さらに第二人あらず、直截根源人未識、忙々業識幾時休なるがゆえに。妄縁起の有にあらず、ヘン(彳+扁)界不曾蔵のゆえに。ヘン(彳+扁)界不曾蔵というは、かならずしも満界是有というにあらざるなり。ヘン(彳+扁)界我有は外道の邪見なり。本有の有にあらず、亘古亘今のゆえに。始起の有にあらず、不受一塵のゆえに。条々の有にあらず、合取のゆえに。無始有の有にあらず、是什麼物恁麼来のゆえに。始起有の有にあらず、吾常心是道のゆえに。まさにしるべし、悉有中に衆生快便難逢なり。悉有を会取することかくのごとくなれば、悉有それ透体脱落なり。
 佛性の言をききて、学者おおく先尼外道の我のごとく邪計せり。それ、人にあわず、自己にあわず、師をみざるゆえなり。いたづらに風火の動著する心意識を佛性の覚知覚了とおもえり。たれかいうし、佛性に覚知覚了ありと。覚者知者はたとい諸佛なりとも、佛性は覚知覚了にあらざるなり。いわんや諸佛を覚者知者という覚知は、なんだちが云云の邪解を覚知とせず、風火の動静を覚知とするにあらず。ただ一両の佛面祖面、これ覚知なり。
 往々に古老先徳、あるいは西天に往還し、あるいは人天を化道する、漢唐より宋朝にいたるまで、稲麻竹葦のごとくなる、おおく風火の動著を佛性の知覚とおもえる、あわれむべし、学道転疎なるによりて、いまの失誤あり。いま佛道の晩学初心、しかあるべからず。たとい覚知を学習すとも、覚知は動著にあらざるなり。たとい動著を学習すとも、動著は恁麼にあらざるなり。もし真箇の動著を会取することあらば、真箇の覚知覚了を会取すべきなり。佛之与性、達彼達此なり。佛性かならず悉有なり、悉有は佛性なるがゆえに。悉有は百雑砕にあらず、悉有は一条鉄にあらず。拈拳頭なるがゆえに大小にあらず。すでに佛性という、諸聖と斉肩なるべからず、佛性と斉肩すべからず。
 ある一類おもわく、佛性は草木の種子のごとし。法雨のうるいしきりにうるおすとき、芽茎生長し、枝葉花菓もすことあり。果実さらに種子をはらめり。かくのごとく見解する、凡夫の情量なり。たといかくのごとく見解すとも、種子および花果、ともに条々の赤心なりと参究すべし。果裏に種子あり、種子みえざれども根茎等を生ず。あつめざれどもそこばくの枝条大囲となれる、内外の論にあらず、古今の時に不空なり。しかあれば、たとい凡夫の見解に一任すとも、根茎枝葉みな同生し同死し、同悉有なる佛性なるべし。
 佛言、「欲知佛性義、当観時節因縁。時節若至、佛性現前」。
 いま「佛性義をしらんとおもわば」というは、ただ知のみにあらず、行ぜんとおもわば、証せんとおもわば、とかんとおもわばとも、わすれんとおもわばともいうなり。かの説・行・証・亡・錯・不錯等も、しかしながら時節の因縁なり。時節の因縁を観ずるには、時節の因縁をもて観ずるなり。払子・シュ(抂 王→主)杖等をもて相観するなり。さらに有漏智・無漏智、本覚・始覚、無覚・正覚等の智をもちいるには観ぜられざるなり。
 「当観」というは、能観・所観にかかわれず、正観・邪観等に準ずべきにあらず、これ当観なり。当観なるがゆえに不自観なり、不他観なり。時節因縁ニイ(漸+耳)なり、超越因縁なり。佛性ニイ(漸+耳)なり、脱体佛性なり。佛々ニイ(漸+耳)なり、性々ニイ(漸+耳)なり。
 「時節若至」の道を、古今のやから往々におもわく、佛性の現前する時節の向後にあらんずるをまつなりとおもえり。かくのごとく修行しゆくところに、自然に佛性現前の時節にあう。時節いたらざれば、参師問法するにも、弁道功夫するにも、現前せずという。恁麼見取して、いたづらに紅塵にかえり、むなしく雲漢をまぼる。かくのごとくのたぐい、おそらくは天然外道の流類なり。いわゆる「欲知佛性義」は、たとえば「当知佛性義」というなり。「当観時節因縁」というは、「当知時節因縁」というなり。いわゆる佛性をしらんとおもわば、しるべし、時節因縁これなり。「時節若至」というは、「すでに時節いたれり、なにの疑著すべきところかあらん」となり。疑著時節さもあらばあれ、還我佛性来なり。しるべし、「時節若至」は、十二時中不空過なり。「若至」は、「既至」といわんがごとし。時節若至すれば、佛性不至なり。しかあればすなわち、時節すでにいたれば、これ佛性の現前なり。あるいは其理自彰なり。おおよそ時節の若至せざる時節いまだあらず、佛性の現前せざる佛性あらざるなり。
 第十二祖馬鳴尊者、十三祖のために佛性海をとくにいわく、「山河大地皆依建立、三昧六通由茲発現」。
 しかあれば、この山河大地、みな佛性海なり。「皆依建立」というは、建立せる正当恁麼時、これ山河大地なり。すでに「皆依建立」という、しるべし、佛性海のかたちはかくのごとし。さらに内外中間にかかわるべきにあらず。恁麼ならば、山河をみるは佛性をみるなり、佛性をみるは驢腮馬觜をみるなり。「皆依」は全依なり、依全なりと会取し、不会取するなり。
 「三昧六通由茲発現」。しるべし、諸三昧の発現未現、おなじく皆依佛性なり。全六通の由茲不由茲、ともに皆依佛性なり。六神通はただ阿笈摩教にいう六神通にあらず。六というは、前三々後三々を六神通ハラ(波羅)蜜という。しかあれば、六神通は明々百草頭、明々佛祖意なりと参究することなかれ。六神通に滞累せしむといえども、佛性海の朝宗にケイ(四+ケイ)礙するものなり。
 五祖大満(弘忍 602-675)禅師、キ(廾+単+斤)州(湖北省)黄梅人也。無父而生、童児得道、乃栽松道者也。初在キ(廾+単+斤)州西山栽松、遇四祖(道信)出遊。告道者、「吾欲伝法与汝、汝已年邁。若待汝再来、吾尚遅汝」。
 師諾。遂往周氏家女托生。因抛濁港中。神物護持、七日不損。因収養矣。至七歳為童子、於黄梅路上逢四祖大医(道信)禅師。
 祖見師、雖是小児、骨相奇秀、異乎常童。
 祖見問曰、「汝何姓」。
 師答曰、「姓即有、不是常姓」。
 祖曰、「是何姓」。
 師答曰、「是佛性」。
 祖曰、「汝無佛性」。
 師答曰、「佛性空故、所以言無」。
 祖識其法器、俾為侍者、後付正法眼蔵。居黄梅(湖北省)東山、大振玄風。
 しかあればすなわち、祖師の道取を参究するに、「四祖いわく汝何姓」は、その宗旨あり。むかしは何国人の人あり、何姓の姓あり。なんぢは何姓と為説するなり。たとえば吾亦如是、汝亦如是と道取するがごとし。
 五祖いわく、「姓即有、不是常姓」。
 いわゆるは、有即姓は常姓にあらず、常姓は即有に不是なり。
 「四祖いわく是何姓」は、何は是なり、是を何しきたれり。これ姓なり。何ならしむるは是のゆえなり。是ならしむるは何の能なり。姓は是也、何也なり。これを蒿湯にも点ず、茶湯にも点ず、家常の茶飯ともするなり。
 五祖いわく、「是佛姓」。
 いわくの宗旨は、是は佛性なりとなり。何のゆえに佛なるなり。是は何姓のみに究取しきたらんや、是すでに不是のとき佛姓なり。しかあればすなわち是は何なり、佛なりといえども、脱落しきたり、透脱しきたるに、かならず姓なり。その姓すなわち周なり。しかあれども、父にうけず祖にうけず、母氏に相似ならず、傍観に斉肩ならんや。
 四祖いわく、「汝無佛性」。
 いわゆる道取は、汝はたれにあらず、汝に一任すれども、無佛性なりと開演するなり。しるべし、学すべし、いまはいかなる時節にして無佛性なるぞ。佛頭にして無佛性なるか、佛向上にして無佛性なるか。七通を逼塞することなかれ、八達を摸サク(手+索)することなかれ。無佛性は一時の三昧なりと修習することもあり。佛性成佛のとき無佛性なるか、佛性発心のとき無佛性なるかと問取すべし、道取すべし。露柱をしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし、佛性をしても問取せしむべし。
 しかあればすなわち、無佛性の道、はるかに四祖の祖室よりきこゆるものなり。黄梅に見聞し、趙州に流通し、大イ(サンズイ+為)(霊祐、南嶽下 771-853)に挙揚す。無佛性の道、かならず精進すべし、シ(走+次)ソ(走+且)することなかれ。無佛性たどりぬべしといえども、何なる標準あり、汝なる時節あり、是なる投機あり、周なる同生あり、直趣なり。
 五祖いわく、「佛性空故、所以言無」。
 あきらかに道取す、空は無にあらず。佛性空を道取するに、半斤といわず、八両といわず、無と言取するなり。空なるゆえに空といわず、無なるゆえに無といわず、佛性空なるゆえに無という。しかあれば、無の片々は空を道取する標榜なり、空は無を道取する力量なり。いわゆるの空は、色即是空の空にあらず。色即是空というは、色を強為して空とするにあらず、空をわかちて色を作家せるにあらず。空是空の空なるべし。空是空の空というは、空裏一片石なり。しかあればすなわち、佛性無と佛性空と佛性有と、四祖五祖、問取道取。
 震旦第六祖曹谿山大鑑(慧能)禅師、そのかみ黄梅山に参ぜしはじめ、五祖(弘忍)とう、「なんぢいづれのところよりかきたれる」。
 六祖いわく、「嶺南人なり」。
 五祖いわく、「きたりてなにごとをかもとむる」。
 六祖いわく、「作佛をもとむ」。
 五祖いわく、「嶺南人無佛性、いかにしてか作佛せん」。
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※《嶺南人無佛性(嶺南人は佛性なし)》の語は、人権上注意を要する
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 この「嶺南人無佛性」という、嶺南人は佛性なしというにあらず、嶺南人は佛性ありというにあらず、「嶺南人、無佛性」となり。「いかにしてか作佛せん」というは、いかなる作佛をか期するというなり。
 おおよそ佛性の道理、あきらむる先達すくなし。諸阿笈摩教および経論師のしるべきにあらず。佛祖の児孫のみ単伝するなり。佛性の道理は、佛性は成佛よりさきに具足せるにあらず、成佛よりのちに具足するなり。佛性かならず成佛と同参するなり。この道理、よくよく参究功夫すべし。三二十年も功夫参学すべし。十聖三賢のあきらむるところにあらず。衆生有佛性、衆生無佛性と道取する、この道理なり。成佛以来に具足する法なりと参学する正的なり。かくのごとく学せざるは佛法にあらざるべし。かくのごとく学せずは、佛法あえて今日にいたるべからず。もしこの道理あきらめざるには、成佛をあきらめず、見聞せざるなり。このゆえに、五祖は向他道するに、「嶺南人、無佛性」と為道するなり。見佛聞法の最初に、難得難聞なるは「衆生無佛性」なり。或従知識、或従経巻するに、きくことのよろこぶべきは衆生無佛性なり。一切衆生無佛性を見聞覚知に参飽せざるものは、佛性いまだ見聞覚知せざるなり。六祖もはら作佛をもとむるに、五祖よく六祖を作佛せしむるに、他の道取なし、善巧なし。ただ「嶺南人、無佛性」という。しるべし、無佛性の道取聞取、これ作佛の直道なりということを。しかあれば、無佛性の正当恁麼時すなわち作佛なり。無佛性いまだ見聞せず、道取せざるは、いまだ作佛せざるなり。
 六祖いわく、「人有南北なりとも、佛性無南北なり」。この道取を挙して、句裏を功夫すべし。南北の言、まさに赤心に照顧すべし。六祖道得の句に宗旨あり。いわゆる人は作佛すとも、佛性は作佛すべからずという一隅の搆得あり。六祖これをしるやいなや。
 四祖五祖の道取する無佛性の道得、はるかにケイ(四+圭)礙の力量ある一隅をうけて、迦葉佛および釈迦牟尼佛等の諸佛は、作佛し転法するに、「悉有佛性」と道取する力量あるなり。悉有の有、なんぞ無々の無に嗣法せざらん。しかあれば、無佛性の語、はるかに四祖五祖の室よりきこゆるなり。このとき、六祖その人ならば、この無佛性の語を功夫すべきなり。「有無の無はしばらくおく、いかならんかこれ佛性」と問取すべし、「なにものかこれ佛性」とたづぬべし。いまの人も、佛性とききぬれば、「いかなるかこれ佛性」と問取せず、佛性の有無等の義をいうがごとし、これ倉卒なり。しかあれば、諸無の無は、無佛性の無に学すべし。六祖の道取する「人有南北、佛性無南北」の道、ひさしく再三撈ロク(手+鹿)すべし、まさに撈波子に力量あるべきなり。六祖の道取する「人有南北、佛性無南北」の道、しづかに拈放すべし。おろかなるやからおもわくは、人間には質礙すれば南北あれども、佛性は虚融にして南北の論におよばずと、六祖は道取せりけるかと推度するは、無分の愚蒙なるべし。この邪解を抛却して、直須勤学すべし。
 六祖示門人行昌云、「無常者即佛性也、有常者即善悪一切諸法分別心也」。
 いわゆる六祖道の無常は、外道二乗等の測度にあらず。二乗外道の鼻祖鼻末、それ無常なりというとも、かれら窮尽すべからざるなり。しかあれば、無常のみづから無常を説著、行著、証著せんは、みな無常なるべし。今以現自身得度者、即現自身而為説法なり。これ佛性なり。さらに或現長法身、或現短法身なるべし。常聖これ無常なり、常凡これ無常なり。常凡聖ならんは佛性なるべからず。小量の愚見なるべし、測度の管見なるべし。佛者小量身也、性者小量作也。このゆえに六祖道取す、「無常者佛性也」。
 常者未転なり。未転というは、たとい能断と変ずとも、たとい所断と化すれども、かならずしも去来の蹤跡にかかわれず、ゆえに常なり。
 しかあれば、草木叢林の無常なる、すなわち佛性なり。人物身心の無常なる、これ佛性なり。国土山河の無常なる、これ佛性なるによりてなり。阿耨多羅三藐三菩提これ佛性なるがゆえに無常なり、大般涅槃これ無常なるがゆえに佛性なり。もろもろの二乗の小見および経論師の三蔵等は、この六祖の道を驚疑怖畏すべし。もし驚疑せんことは、魔外の類なり。
 第十四祖龍樹尊者、梵云那伽閼剌樹那。唐云龍樹亦龍勝、亦云龍猛。西天竺国人也。至南天竺国。彼国之人、多信福業。尊者為説妙法。聞者逓相謂曰、「人有福業、世間第一。徒言佛性、誰能覩之」。
 尊者曰、「汝欲見佛性、先須除我慢」。
 彼人曰、「佛性大耶小耶」。
 尊者曰、「佛性非大非小、非広非狭、無福無報、不死不生」。
 彼聞理勝、悉廻初心。
 尊者復於坐上現自在身、如満月輪。一切衆会、唯聞法音、不覩師相。
 於彼衆中、有長者子迦那提婆、謂衆会曰、「識此相否」。
 衆会曰、「而今我等目所未見、耳無所聞、心無所識、身無所住」。
 提婆曰、「此是尊者、現佛性相、以示我等。何以知之。蓋以無相三昧形如満月。佛性之義、廓然虚明」。
 言訖輪相即隠。復居本坐、而説偈言、
  身現円月相、以表諸佛体、
  説法無其形、用辯非声色。
   しるべし、真箇の「用辯」は「声色」の即現にあらず。真箇の「説法」は「無其形」なり。尊者かつてひろく佛性を為説する、不可数量なり。いまはしばらく一隅を略挙するなり。
 「汝欲見佛性、先須除我慢」。この為説の宗旨、すごさず弁肯すべし。「見」はなきにあらず、その見これ「除我慢」なり。「我」もひとつにあらず、「慢」も多般なり、除法また万差なるべし。しかあれども、これらみな見佛性なり。眼見目覩にならうべし。  「佛性非大非小」等の道取、よのつねの凡夫二乗に例諸することなかれ。偏枯に佛性は広大ならんとのみおもえる、邪念をたくわえきたるなり。大にあらず小にあらざらん正当恁麼時の道取にケイ(四+圭)礙せられん道理、いま聴取するがごとく思量すべきなり。思量なる聴取を使得するがゆえに。
 しばらく尊者の道著する偈を聞取すべし、いわゆる「身現円月相、以表諸佛体」なり。すでに「諸佛体」を「以表」しきたれる「身現」なるがゆえに「円月相」なり。しかあれば、一切の長短方円、この身現に学習すべし。身と現とに転疎なるは、円月相にくらきのみにあらず、諸佛体にあらざるなり。愚者おもわく、尊者かりに化身を現ぜるを円月相というとおもうは、佛道を相承せざる儻類の邪念なり。いづれのところのいづれのときか、非身の他現ならん。まさにしるべし、このとき尊者は高座せるのみなり。身現の儀は、いまのたれ人も坐せるがごとくありしなり。この身、これ円月相現なり。身現は方円にあらず、有無にあらず、隠顕にあらず、八万四千蘊にあらず、ただ身現なり。円月相という、這裏是甚麼処在、説細説麁月なり。この身現は、先須除我慢なるがゆえに、龍樹にあらず、諸佛体なり。「以表」するがゆえに諸佛体を透脱す。しかあるがゆえに、佛辺にかかわれず。佛性の「満月」を「形如」する「虚明」ありとも、「円月相」を排列するにあらず。いわんや「用辯」も「声色」にあらず、「身現」も色心にあらず、蘊処界にあらず。蘊処界に一似なりといえども「以表」なり、「諸佛体」なり。これ説法蘊なり、それ「無其形」なり。無其形さらに「無相三昧」なるとき、「身現」なり。一衆いま円月相を望見すといえども、「目所未見」なるは、説法蘊の転機なり、「現自在身」の「非声色」なり。即隠、即現は、輪相の進歩退歩なり。「復於座上現自在身」の正当恁麼時は、「一切衆会、唯聞法音」するなり、「不覩師相」なるなり。
 尊者の嫡嗣迦那提婆尊者、あきらかに満月相を「識此」し、円月相を識此し、身現を識此し、諸佛性を識此し、諸佛体を識此せり。入室瀉瓶の衆たといおおしといえども、提婆と斉肩ならざるべし。提婆は半座の尊なり、衆会の導師なり、全座の分座なり。正法眼蔵無上大法を正伝せること、霊山に摩訶迦葉尊者の座元なりしがごとし。龍樹未廻心のさき、外道の法にありしときの弟子おおかりしかども、みな謝遣しきたれり。龍樹すでに佛祖となれりしときは、ひとり提婆を附法の正嫡として、大法眼蔵を正伝す。これ無上佛道の単伝なり。しかあるに、僣偽の邪群ままに自称すらく、「われらも龍樹大士の法嗣なり」。論をつくり義をあつむる、おおく龍樹の手をかれり、龍樹の造にあらず。むかしすてられし群徒の、人天を惑乱するなり。佛弟子はひとすぢに、提婆の所伝にあらざらんは、龍樹の道にあらずとしるべきなり。これ正信得及なり。しかあるに、偽なりとしりながら稟受するものおおかり。謗大般若の衆生の愚蒙、あわれみかなしむべし。
 迦那提婆尊者、ちなみに龍樹尊者の身現をさして衆会につげていわく、「此是尊者、現佛性相、以示我等。何以知之。蓋以無相三昧形如満月。佛性之義、廓然虚明なり」。  いま天上人間、大千法界に流布せる佛法を見聞せる前後の皮袋、たれか道取せる、「身現相は佛性なり」と。大千界にはただ提婆尊者のみ道取せるなり。余者はただ、佛性は眼見耳聞心識等にあらずとのみ道取するなり。身現は佛性なりとしらざるゆえに道取せざるなり。祖師のをしむにあらざれども、眼耳ふさがれて見聞することあたわざるなり。身識いまだおこらずして、了別することあたわざるなり。無相三昧の形如満月なるを望見し礼拝するに、「目未所覩」なり。「佛性之義、廓然虚明」なり。
 しかあれば、「身現」の説佛性なる、「虚明」なり、「廓然」なり。説佛性の「身現」なる、「以表諸佛体」なり。いづれの一佛二佛か、この以表を佛体せざらん。佛体は身現なり、身現なる佛性あり。四大五蘊と道取し会取する佛量祖量も、かえりて身現の造次なり。すでに諸佛体という、蘊処界のかくのごとくなるなり。一切の功徳、この功徳なり。佛功徳はこの身現の究尽し、嚢括するなり。一切無量無辺の功徳の往来は、この身現の一造次なり。
 しかあるに、龍樹・提婆師資よりのち、三国の諸方にある前代後代、ままに佛学する人物、いまだ龍樹・提婆のごとく道取せず。いくばくの経師論師等か、佛祖の道を蹉過する。大宋国むかしよりこの因縁を画せんとするに、身に画し心に画し、空に画し、壁に画することあたわず、いたづらに筆頭に画するに、法座上に如鏡なる一輪相を図して、いま龍樹の身現円月相とせり。すでに数百歳の霜華も開落して、人眼の金屑をなさんとすれども、あやまるという人なし。あわれむべし、万事の蹉タ(足+它)たることかくのごときなる。もし身現円月相は一輪相なりと会取せば、真箇の画餅一枚なり。弄他せん、笑也笑殺人なるべし。かなしむべし、大宋一国の在家出家、いづれの一箇も、龍樹のことばをきかずしらず、提婆の道を通ぜずみざること。いわんや身現に親切ならんや。円月にくらし、満月を虧闕せり。これ稽古のおろそかなるなり、慕古いたらざるなり。古佛新佛、さらに真箇の身現にあうて、画餅を賞翫することなかれ。
 しるべし、身現円月相の相を画せんには、法座上に身現相あるべし。揚眉瞬目それ端直なるべし。皮肉骨髄正法眼蔵、かならず兀座すべきなり。破顔微笑つたわるべし、作佛作祖するがゆえに。この画いまだ月相ならざるには、形如なし、説法せず、声色なし、用辯なきなり。もし身現をもとめば、円月相を図すべし。円月相を図せば、円月相を図すべし、身現円月相なるがゆえに。円月相を画せんとき、満月相を図すべし、満月相を現ずべし。しかあるを、身現を画せず、円月を画せず、満月相を画せず、諸佛体を図せず、「以表」を体せず、「説法」を図せず、いたづらに画餅一枚を図す、用作什麼。これを急著眼看せん、たれか直至如今飽不飢ならん。月は円形なり、円は身現なり。円を学するに一枚銭のごとく学することなかれ、一枚餅に相似することなかれ。身相円月身なり、形如満月形なり。一枚銭、一枚餅は、円に学習すべし。
 予、雲遊のそのかみ、大宋国にいたる。嘉定十六年癸未(1223)秋のころ、はじめて阿育王山広利禅寺(浙江省)にいたる。西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるをみる。このとき領覧なし。のちに宝慶元年乙酉(1225)夏安居のなかに、かさねていたるに、西蜀の成桂知客と、廊下を行歩するついでに、
 予、知客にとう、「這箇是什麼変相」。
 知客いわく、「龍樹身現円月相」。かく道取する顔色に鼻孔なし、声裏に語句なし。  予いわく、「真箇是一枚画餅相似」。
 ときに知客、大笑すといえども、笑裏無刀、破画餅不得なり。
 すなわち知客と予と、舎利殿および六殊勝地等にいたるあいだ、数番挙揚すれども、疑著するにもおよばず。おのづから下語する僧侶も、おおく都不是なり。
 予いわく、「堂頭にとうてみん」。ときに堂頭は大光和尚なり。
 知客いわく、「他無鼻孔、対不得。如何得知」。
 ゆえに光老にとわず。恁麼道取すれども、桂兄も会すべからず。聞説する皮袋も道取せるなし。前後の粥飯頭みるにあやしまず、あらためなおさず。又、画することうべからざらん法はすべて画せざるべし。画すべくは端直に画すべし。しかあるに、身現の円月相なる、かつて画せるなきなり。
 おおよそ佛性は、いまの慮知念覚ならんと見解することさめざるによりて、有佛性の道にも、無佛性の道にも、通達の端を失せるがごとくなり。道取すべきと学習するもまれなり。しるべし、この疎怠は癈せるによりてなり。諸方の粥飯頭、すべて佛性という道得を、一生いわずしてやみぬるもあるなり。あるいはいう、聴教のともがら佛性を談ず、参禅の雲衲はいうべからず。かくのごとくのやからは、真箇是畜生なり。なにという魔儻の、わが佛如来の道にまじわりけがさんとするぞ。聴教ということの佛道にあるか、参禅ということの佛道にあるか。いまだ聴教・参禅ということ、佛道にはなしとしるべし。
 杭州塩官県斉安国師は、馬祖下の尊宿なり。ちなみに衆にしめしていわく、「一切衆生有佛性」。
 いわゆる「一切衆生」の言、すみやかに参究すべし。一切衆生、その業道依正ひとつにあらず、その見まちまちなり。凡夫外道、三乗五乗等、おのおのなるべし。いま佛道にいう一切衆生は、有心者みな衆生なり、心是衆生なるがゆえに。無心者おなじく衆生なるべし、衆生是心なるがゆえに。しかあれば、心みなこれ衆生なり、衆生みなこれ有佛性なり。草木国土これ心なり、心なるがゆえに衆生なり、衆生なるがゆえに有佛性なり。日月星辰これ心なり、心なるがゆえに衆生なり、衆生なるがゆえに有佛性なり。国師の道取する有佛性、それかくのごとし。もしかくのごとくにあらずは、佛道に道取する有佛性にあらざるなり。いま国師の道取する宗旨は、「一切衆生有佛性」のみなり。さらに衆生にあらざらんは、有佛性にあらざるべし。しばらく国師にとうべし、「一切諸佛有佛性也無」。かくのごとく問取し、試験すべきなり。「一切衆生即佛性」といわず、「一切衆生、有佛性」というと参学すべし。有佛性の有、まさに脱落すべし。脱落は一条鉄なり、一条鉄は鳥道なり。しかあれば、一切佛性有衆生なり。これその道理は、衆生を説透するのみにあらず、佛性をも説透するなり。国師たとい会得を道得に承当せずとも、承当の期なきにあらず。今日の道得、いたづらに宗旨なきにあらず。又、自己に具する道理、いまだかならずしもみづから会取せざれども、四大五陰もあり、皮肉骨髄もあり。しかあるがごとく、道取も、一生に道取することもあり、道取にかかれる生々もあり。
 大イ(サンズイ+為)山大円禅師(霊祐、南嶽下 771-853)、あるとき衆にしめしていわく、「一切衆生無佛性」。
 これをきく人天のなかに、よろこぶ大機あり、驚疑のたぐいなきにあらず。釈尊説道は「一切衆生悉有佛性」なり、大イ(サンズイ+為)の説道は「一切衆生無佛性」なり。有無の言理、はるかにことなるべし、道得の当不、うたがいぬべし。しかあれども、「一切衆生無佛性」のみ佛道に長なり。塩官有佛性の道、たとい古佛とともに一隻の手をいだすににたりとも、なおこれ一条シュ(抂 王→主)杖両人舁なるべし。
 いま大イ(サンズイ+為)はしかあらず、一条シュ(抂 王→主)杖呑両人なるべし。いわんや国師は馬祖の子なり、大イ(サンズイ+為)は馬祖の孫なり。しかあれども、法孫は、師翁の道に老大なり、法子は、師父の道に年少なり。いま大イ(サンズイ+為)道の理致は、「一切衆生無佛性」を理致とせり。いまだ曠然縄墨外といわず。自家屋裏の経典、かくのごとくの受持あり。さらに摸サク(手+索)すべし、一切衆生なにとしてか佛性ならん、佛性あらん。もし佛性あるは、これ魔儻なるべし。魔子一枚を将来して、一切衆生にかさねんとす。佛性これ佛性なれば、衆生これ衆生なり。衆生もとより佛性を具足せるにあらず。たとい具せんともとむとも、佛性はじめてきたるべきにあらざる宗旨なり。張公喫酒李公酔ということなかれ。もしおのづから佛性あらんは、さらに衆生にあらず。すでに衆生あらんは、ついに佛性にあらず。
 このゆえに百丈(懐海 749-814)いわく、「説衆生有佛性、亦謗佛法僧。説衆生無佛性、亦謗佛法僧」。しかあればすなわち、有佛性といい無佛性という、ともに謗となる。謗となるというとも、道取せざるべきにはあらず。
 且問ニイ(=汝)、大イ(サンズイ+為)、百丈しばらくきくべし。謗はすなわちなきにあらず、佛性は説得すやいまだしや。たとい説得せば、説著を(四+圭)礙せん。説著あらば聞著と同参なるべし。また、大イ(サンズイ+為)にむかいていうべし。一切衆生無佛性はたとい道得すというとも、一切佛性無衆生といわず、一切佛性無佛性といわず、いわんや一切諸佛無佛性は夢也未見在なり。試挙看。
 百丈山大智(懐海)禅師、示衆云、「佛是最上乗、是上々智。是佛道立此人、是佛有佛性、是導師。是使得無所礙風、是無礙慧。於後能使得因果、福智自由。是作車運載因果。処於生不被生之所留、処於死不被死之所礙、処於五陰如門開。不被五陰礙、去住自由、出入無難。若能恁麼、不論階梯勝劣、乃至蟻子之身、但能恁麼、尽是浄妙国土、不可思議」。
 これすなわち百丈の道処なり。いわゆる五蘊は、いまの不壊身なり。いまの造次は門開なり、不被五陰礙なり。生を使得するに生にとどめられず、死を使得するに死にさえられず。いたづらに生を愛することなかれ、みだりに死を恐怖することなかれ。すでに佛性の処在なり、動著し厭却するは外道なり。現前の衆縁と認ずるは使得無礙風なり。これ最上乗なる是佛なり。この是佛の処在、すなわち浄妙国土なり。
 黄檗(希運 ?-?)在南泉(普願 748-834)茶堂内坐。南泉問黄檗、「定慧等学、明見佛性。此理如何」。
 黄檗云、「十二時中不依倚一物始得」。
 南泉云、「莫便是長老見処麼」。
 黄檗曰、「不敢」。
 南泉云、「漿水銭且致、草鞋銭教什麼人還」。
 黄檗便休。
 いわゆる「定慧等学」の宗旨は、定学の慧学をさえざれば、等学するところに明見佛性のあるにはあらず、明見佛性のところに、定慧等学の学あるなり。「此理如何」と道取するなり。たとえば、「明見佛性はたれが所作なるぞ」と道取せんもおなじかるべし。「佛性等学、明見佛性、此理如何」と道取せんも道得なり。
 黄檗いわく、「十二時中不依倚一物」という宗旨は、十二時中たとい十二時中に処在せりとも、不依倚なり。不依倚一物、これ十二時中なるがゆえに佛性明見なり。この十二時中、いづれの時節到来なりとかせん、いづれの国土なりとかせん。いまいう十二時は、人間の十二時なるべきか、他那裏に十二時のあるか、白銀世界の十二時のしばらくきたれるか。たとい此土なりとも、たとい他界なりとも、不依倚なり。すでに十二時中なり、不依倚なるべし。
 「莫便是長老見処麼」というは、「これを見処とはいうまじや」というがごとし。長老見処麼と道取すとも、自己なるべしと回頭すべからず。自己に的当なりとも、黄檗にあらず。黄檗かならずしも自己のみにあらず、長老見処は露回々なるがゆえに。
 黄檗いわく、「不敢」。
 この言は、宋土に、おのれにある能を問取せらるるには、能を能といわんとても、不敢というなり。しかあれば、不敢の道は不敢にあらず。この道得はこの道取なること、はかるべきにあらず。長老見処たとい長老なりとも、長老見処たとい黄檗なりとも、道取するには「不敢」なるべし。一頭水コ(牛+古)牛出来道吽吽なるべし。かくのごとく道取するは道取なり。道取する宗旨さらに又道取なる道取、こころみて道取してみるべし。
 南泉いわく、「漿水銭且致、草鞋銭教什麼人還」。
 いわゆるは、「こんづのあたいはしばらくおく、草鞋のあたいはたれをしてかかえさしめん」となり。この道取の意旨、ひさしく生々をつくして参究すべし。漿水銭いかなればかしばらく不管なる、留心勤学すべし。草鞋銭なにとしてか管得する。行脚の年月にいくばくの草鞋をか踏破しきたれるとなり。いまいうべし、「若不還銭、未著草鞋」。またいうべし、「両三リョウ(革+兩)ウ」。この道得なるべし、この宗旨なるべし。
 「黄檗便休」。これは休するなり。不肯せられて休し、不肯にて休するにあらず。本色衲子しかあらず。しるべし、休裏有道は、笑裏有刀のごとくなり。これ佛性明見の粥足飯足なり。
 この因縁を挙して、イ(サンズイ+為)山、仰山にとうていわく、「莫是黄檗搆他南泉不得麼」。
 仰山いわく、「不然。須知、黄檗有陥虎之機」。
 イ(サンズイ+為)山云、「子見処、得恁麼長」。
 大イ(サンズイ+為)の道は、そのかみ黄檗は南泉を搆不得なりやという。
 仰山いわく、「黄檗は陥虎の機あり」。すでに陥虎することあらば、ラッ(埒 土→手)虎頭なるべし。
 陥虎ラッ(埒 土→手)虎、異類中行。明見佛性也、開一隻眼。佛性明見也、失一隻眼。速道速道。佛性見処、得恁麼長なり。
 このゆえに、半物全物、これ不依倚なり。百千物、不依倚なり、百千時、不依倚なり。このゆえにいわく、ラ(竹+羅)籠一枚、時中十二。依倚不依倚、如葛藤依樹。天中及全天、後頭未有語なり。
 趙州真際大師(従シン(言+念) 778-897)にある僧とう、「狗子還有佛性也無」。
 この問の意趣あきらむべし。狗子とはいぬなり。かれに佛性あるべしと問取せず、なかるべしと問取するにあらず。これは、鉄漢また学道するかと問取するなり。あやまりて毒手にあう、うらみふかしといえども、三十年よりこのかた、さらに半箇の聖人をみる風流なり。
 趙州いわく、「無」。
 この道をききて、習学すべき方路あり。佛性の自称する無も恁麼なるべし、狗子の自称する無も恁麼道なるべし、傍観者の喚作の無も恁麼道なるべし。その無わづかに消石の日あるべし。
 僧いわく、「一切衆生皆有佛性、狗子為甚麼無」。
 いわゆる宗旨は、一切衆生無ならば、佛性も無なるべし、狗子も無なるべしという、その宗旨作麼生、となり。狗子佛性、なにとして無をまつことあらん。
 趙州いわく、「為他有業識在」。
 この道旨は、「為他有」は「業識」なり。「業識有」、「為他有」なりとも、狗子無、佛性無なり。業識いまだ狗子を会せず、狗子いかでか佛性にあわん。たとい双放双収すとも、なおこれ業識の始終なり。
 趙州有僧問、「狗子還有佛性也無」。  この問取は、この僧、搆得趙州の道理なるべし。しかあれば、佛性の道取問取は、佛祖の家常茶飯なり。
 趙州いわく、「有」。
 この有の様子は、教家の論師等の有にあらず、有部の論有にあらざるなり。すすみて佛有を学すべし。佛有は趙州有なり、趙州有は狗子有なり、狗子有は佛性有なり。
 僧いわく、「既有、為甚麼却撞入這皮袋」。
 この僧の道得は、今有なるか、古有なるか、既有なるかと問取するに、既有は諸有に相似せりというとも、既有は孤明なり。既有は撞入すべきか、撞入すべからざるか。撞入這皮袋の行履、いたづらに蹉過の功夫あらず。
 趙州いわく、「為他知而故犯」。
 この語は、世俗の言語としてひさしく途中に流布せりといえども、いまは趙州の道得なり。いうところは、しりてことさらをかす、となり。この道得は、疑著せざらん、すくなかるべし。いま一字の入あきらめがたしといえども、入之一字も不用得なり。いわんや欲識庵中不死人、豈離只今這皮袋なり。不死人はたとい阿誰なりとも、いづれのときか皮袋に莫離なる。故犯はかならずしも入皮袋にあらず、撞入這皮袋かならずしも知而故犯にあらず。知而のゆえに故犯あるべきなり。しるべし、この故犯すなわち脱体の行履を覆蔵せるならん。これ撞入と説著するなり。脱体の行履、その正当覆蔵のとき、自己にも覆蔵し、他人にも覆蔵す。しかもかくのごとくなりといえども、いまだのがれずということなかれ、驢前馬後漢。いわんや、雲居高祖いわく、「たとい佛法辺事を学得する、はやくこれ錯用心了也」。
 しかあれば、半枚学佛法辺事ひさしくあやまりきたること日深月深なりといえども、これ這皮袋に撞入する狗子なるべし。知而故犯なりとも有佛性なるべし。
 長沙景岑和尚の会に、竺尚書とう、「蚯蚓斬為両段、両頭倶動。未審、佛性在阿那箇頭」。
 師云、「莫妄想」。
 書云、「争奈動何」。
 師云、「只是風火未散」。
 いま尚書いわくの「蚯蚓斬為両段」は、未斬時は一段なりと決定するか。佛祖の家常に不恁麼なり。蚯蚓もとより一段にあらず、蚯蚓きれて両段にあらず。一両の道取、まさに功夫参学すべし。
 「両頭倶動」という両頭は、未斬よりさきを一頭とせるか、佛向上を一頭とせるか。両頭の語、たとい尚書の会不会にかかわるべからず、語話をすつることなかれ。きれたる両段は一頭にして、さらに一頭のあるか。その動というに倶動という、定動智抜ともに動なるべきなり。
 「未審、佛性在阿那箇頭」。「佛性斬為両段、未審、蚯蚓在阿那箇頭」というべし。この道得は審細にすべし。「両頭倶動、佛性在阿那箇頭」というは、倶動ならば佛性の所在に不堪なりというか。倶動なれば、動はともに動ずというとも、佛性の所在はそのなかにいづれなるべきぞというか。
 師いわく、「莫妄想」。この宗旨は、作麼生なるべきぞ。妄想することなかれ、というなり。しかあれば、両頭倶動するに妄想なし、妄想にあらずというか、ただ佛性は妄想なしというか。佛性の論におよばず、両頭の論におよばず、ただ妄想なしと道取するか、とも参究すべし。
 「動ずるはいかがせん」というは、動ずればさらに佛性一枚をかさぬべしと道取するか、動ずれば佛性にあらざらんと道著するか。
 「風火未散」というは、佛性を出現せしむるなるべし。佛性なりとやせん、風火なりとやせん。佛性と風火と、倶出すというべからず、一出一不出というべからず、風火すなわち佛性というべからず。ゆえに長沙は蚯蚓に有佛性といわず、蚯蚓無佛性といわず。ただ「莫妄想」と道取す、「風火未散」と道取す。佛性の活計は、長沙の道を卜度すべし。風火未散という言語、しづかに功夫すべし。未散というは、いかなる道理かある。風火のあつまれりけるが、散ずべき期いまだしきと道取するに、未散というか。しかあるべからざるなり。風火未散はほとけ法をとく、未散風火は法ほとけをとく。たとえば一音の法をとく時節到来なり。説法の一音なる、到来の時節なり。法は一音なり、一音の法なるゆえに。
 又、佛性は生のときのみにありて、死のときはなかるべしとおもう、もとも少聞薄解なり。生のときも有佛性なり、無佛性なり。死のときも有佛性なり、無佛性なり。風火の散未散を論ずることあらば、佛性の散不散なるべし。たとい散のときも佛性有なるべし、佛性無なるべし。たとい未散のときも有佛性なるべし、無佛性なるべし。しかあるを、佛性は動不動によりて在不在し、識不識によりて神不神なり、知不知に性不性なるべきと邪執せるは、外道なり。
 無始劫来は、痴人おおく識神を認じて佛性とせり、本来人とせる、笑殺人なり。さらに佛性を道取するに、タ(手+它)泥滞水なるべきにあらざれども、牆壁瓦礫なり。向上に道取するとき、作麼生ならんかこれ佛性。還委悉麼。三頭八臂。
 仁治二年辛丑(1241)十月十四日記于観音導利興聖宝林寺
 同四年癸卯(1243)正月十九日書写之 懐弉(1197-1280)
 爾時仁治二年辛丑(1241)十月十四日在雍州観音導利興聖宝林寺示衆
           再治御本之奥書也
 正嘉二年戊午(1258)四月廿五日以再治御本交合了


正法眼蔵(抜粋) → 現成公案  → 弁道話  → 佛 性   ▲ page top

 龍=竜 佛=仏 痴=癡 檗=蘗  ※その他 部分的に現代表記で掲載しています