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中国河南省 嵩嶽寺の塔 各種読誦経典

修証義     観音経

如来寿量品   神力品

参同契    宝鏡三昧

証道歌     信心銘


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◆ 修 証 義
大内青巒(1845-1918)編集

  修 証 義              大内青巒(1845-1918)編集
  第一章 総 序
(第一節)
生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり、生死の中に佛あれば生死なし、生死即ち涅槃と心得て、但生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。
(第二節)
人身得ること難し、佛法値うこと稀なり、今我等宿善の助くるに依りて、已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇い難き佛法に値い奉れり、生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ。
(第三節)
無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし、熟観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに到るときは国王大臣親ジツ(目+匿)従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり、己れに随い行くは只是れ善悪業等のみなり。
(第四節)
今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、大凡因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち修善の者は陞る、毫釐もタガ(式 工→心)わざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸佛の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。
(第五節)
善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という、佛祖の道を修習するには、其最初より斯三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり、但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。
(第六節)
当に知るべし今生の我身二つ無し、三つ無し、徒らに邪見に堕ちて虚く悪業を感得せん、惜からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて、悪の報を感得せざるには非ず。

  第二章 懺悔滅罪
(第七節)
佛祖憐みの余り広大の慈門を開き置けり、是れ一切衆生を証入せしめんが為めなり、人天誰か入らざらん、彼の三時の悪業報必ず感ずべしと雖も、懺悔するが如きは重きを転じて軽受せしむ、又滅罪清浄ならしむるなり。
(第八節)
然あれば誠心を専らにして前佛に懺悔すべし、恁麼するとき前佛懺悔の功徳力我を拯いて清浄ならしむ、此功徳能く無礙の浄信精進を生長せしむるなり、浄信一現するとき、自他同く転ぜらるるなり、其利益普ねく情非情に蒙ぶらしむ。
(第九節)
其大旨は、願わくは我れ設い過去の悪業多く重なりて障道の因縁ありとも、佛道に因りて得道せりし諸佛諸祖我を愍みて業累を解脱せしめ、学道障り無からしめ、其功徳法門普ねく無尽法界に充満弥綸せらん、哀みを我に分布すべし、佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん。
(第十節)
我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔、是の如く懺悔すれば必ず佛祖の冥助あるなり、心念身儀発露白佛すべし、発露の力罪根をして鎖殞せしむるなり。

  第三章 受戒入位
(第十一節) 次には深く佛法僧の三宝を敬い奉るべし、生を易え身を易えても三宝を供養し敬い奉らんことを願うべし、西天東土佛祖正伝する所は恭敬佛法僧なり。 (第十二節)
若し薄福少徳の衆生は三宝の名字猶お聞き奉らざるなり、何に況や帰依し奉ることを得んや、徒らに所逼を怖れて山神鬼神等に帰依し、或は外道の制多に帰依すること勿れ、彼は其帰依に因りて衆苦を解脱すること無し、早く佛法僧の三宝に帰依し奉りて、衆苦を解脱するのみに非ず菩提を成就すべし。
(第十三節)
其帰依三宝とは正に浄信を専らにして、或は如来現在世にもあれ、或は如来滅後にもあれ、合掌し低頭して口に唱えて云く、南無帰依佛、南無帰依法、南無帰依僧、佛は是れ大師なるが故に帰依す、法は良薬なるが故に帰依す、僧は勝友なるが故に帰依す、佛弟子となること必ず三帰に依る、何れの戒を受くるも必ず三帰を受けて其後諸戒を受くるなり、然あれば則ち三帰に依りて得戒あるなり。
(第十四節)
此の帰依佛法僧の功徳、必ず感応道交するとき成就するなり、設い天上人間地獄鬼畜なりと雖も、感応道交すれば必ず帰依し奉るなり、已に帰依し奉るが如きは生生世世在在処処に増長し、必ず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり、知るべし三帰の功徳其れ最尊最上甚深不可思議なりということ、世尊已に証明しまします、衆生当に信受すべし。
(第十五節)
次には応に三聚浄戒を受け奉るべし。第一摂律儀戒、第二摂善法戒、第三摂衆生戒なり、次には応に十重禁戒を受け奉るべし、第一不殺生戒、第二不偸盗戒、第三不邪淫戒、第四不妄語戒、第五不・酒戒、第六不説過戒、第七不自讃毀佗戒、第八不慳法財戒、第九不瞋恚戒、第十不謗三宝戒なり、上来三帰、三聚浄戒、十重禁戒、是れ諸佛の受持したまう所なり。
(第十六節)
受戒するが如きは、三世の諸佛の所証なる阿耨多羅三藐三菩提金剛不壊の佛果を証するなり、誰の智人か欣求せざらん、世尊明らかに一切衆生の為に示しまします、衆生佛戒を受くれば即ち諸佛の位に入る、位大覚に同うし已る、真に是れ諸佛の子なりと。 (第十七節)
諸佛の常に此中に住持たる、各各の方面に知覚を遺さず、群生の長えに此中に使用する、各各の知覚に方面露れず、是時十方法界の土地草木牆壁瓦礫皆佛事を作すを以て、其起す所の風水の利益に預る輩、皆甚妙不可思議の佛化に冥資せられて親き悟を顕わす、是を無為の功徳とす、是を無作の功徳とす、是れ発菩提心なり。

  第四章 発願利生
(第十八節)
菩提心を発すというは、己れ未だ度らざる前に、一切衆生を度さんと発願し営むなり、設い在家にもあれ、設い出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも楽にありというとも、早く自未得度先度他の心を発すべし。
(第十九節)
其形陋しというとも、此心を発せば已に一切衆生の導師なり、設い七歳の女流なりとも即ち四衆の導師なり、衆生の慈父なり男女を論ずること勿れ、此れ佛道極妙の法則なり。
(第二十節)
若し菩提心を発して後、六趣四生に輪転すと雖も、其輪転の因縁皆菩提の行願となるなり、然あれば従来の光陰は設い空く過すというとも、今生の未だ過ぎざる際だに急ぎて発願すべし、設い佛に成るべざ功徳熟して円満すべしというとも、尚お廻らして衆生の成佛得道に回向するなり、或は無量劫行いて衆生を先に度して自からは終に佛に成らず、但し衆生を度し衆生を利益するもあり。
(第二十一節)
衆生を利益すというは四枚の般若あり、一者布施、二者愛語、三者利行、四者同事、是れ即ち薩タ(土+垂)の行願なり、其布施というは貪らざるなり、我物に非ざれども布施を障えざる道理あり、其物の軽きを嫌わず、其功の実なるべきなり、然あれば即ち一句一偈の法をも布施すべし、此生他生の善種となる、一銭一草の財をも布施すべし、此世他世の善根を兆す、法も財なるべし、財も法なるべし、但彼が報謝を貪らず、自からが力を頒つなり、舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、治生産業固より布施に非ざること無し。
(第二十二節)
愛語というは、衆生を見るに、先づ慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり、徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし、怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり、面いて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす、面わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず、愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。
(第二十三節)
利行というは貴賤の衆生に於きて利益の善巧を廻らすなり、窮亀を見病雀を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単えに利行に催おさるるなり、愚人謂わくは、利他を先とせば自からが利省れぬべしと、爾には非ざるなり、利行は一法なり、普く自他を利するなり。
(第二十四節)
同事というは、不違なり、自にも不違なり、他にも不違なり。譬えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、他をして自に同ぜしめて後に自をして他に同ぜしむる道理あるべし、自他は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚りて海なるなり。
(第二十五節)
大凡菩提心の行願には是の如くの道理静かに思惟すべし、卒爾にすること勿れ、済度摂受に一切衆生皆化を被ぶらん功徳を礼拝恭敬すべし。

  第五章 行持報恩
(第二十六節)
此発菩提心、多くは南閻浮の人身に発心すべきなり、今是の如くの因縁あり、願生此娑婆国土し来れり、見釈迦牟尼佛を喜ばざらんや。
(第二十七節)
静かに憶うべし、正法世に流布せざらん時は、身命を正法の為に抛捨せんことを願うとも値うべからず、正法に逢う今日の吾等を願うべし、見ずや、佛の言わく、無上菩提を演説する師に値わんには、種姓を観ずること莫れ、容顔を見ること莫れ、非を嫌うこと莫れ、行を考うること莫れ、但般若を尊重するが故に、日日三時に礼拝し、恭敬して、更に患悩の心を生ぜしむること莫れと。
(第二十八節)
今の見佛聞法は佛祖面面の行持より来れる慈恩なり、佛祖若し単伝せずば、奈何にしてか今日に至らん、一句の恩尚お報謝すべし、一法の恩尚お報謝すべし、况や正法眼蔵無上大法の大恩これを報謝せざらんや、病雀尚お恩を忘れず三府の環能く報謝あり、窮亀尚お恩を忘れず、余不の印能く報謝あり、畜類尚お恩を報ず、人類争か恩を知らざらん。
(第二十九節)
其報謝は余外の法は中るべからず、唯当に日日の行持、其報謝の正道なるべし、謂ゆるの道理は日日の生命を等閑にせず、私に費さざらんと行持するなり。
(第三十節)
光陰は矢よりも迅かなり、身命は露よりも脆し、何れの善巧方便ありてか過ぎにし一日を復び還し得たる、徒らに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲むべき形骸なり、設い百歳の日月は声色の奴婢と馳走すとも、其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の他生をも度取すべざなり、此一日の身命は尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり、此行持あらん身心自からも愛すべし、自からも敬うべし、我等が行持に依りて諸佛の行持見成し、諸佛の大道通達するなり、然あれば即ち一日の行持是れ諸佛の種子なり、諸佛の行持なり。
(第三十一節)
謂ゆる諸佛とは釈迦牟尼佛なり、釈迦牟尼佛是れ即心是佛なり、過去現在未来の諸佛、共に佛と成る時は必ず釈迦牟尼佛と成るなり、是れ即心是佛なり、即心是佛というは誰というぞと審細に参究すべし、正に佛恩を報ずるにてあらん。


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◆ 観 音 経
(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)

 観 音 経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)
爾時無尽意菩薩。即従座起。偏袒右肩。合掌向佛。 而作是言。世尊。観世音菩薩以何因縁。名観世音。 佛告無尽意菩薩。善男子。若有無量百千万億衆生。 受諸苦悩。聞是観世音菩薩。一心称名。 観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱。 若有持是観世音菩薩名者。設入大火。火不能焼。 由是菩薩威神カ故。若為大水所漂。称其名号。 即得浅処。若有百千万億衆生。為求金。銀。瑠璃。 シャ(石+車)コ(石+渠)。碼碯。珊瑚。琥珀。真珠等宝。入於大海。 仮使黒風吹其船舫。飄堕羅刹鬼国。 其中若有乃至一人称観世音菩薩名者。是諸人等。 皆得解脱羅刹之難。以是因縁。名観世音。若復有人。 臨当被害。称観世音菩薩名者。彼所執刀杖。 尋段段壊。而得解脱。若三千大千国土満中。 夜叉羅刹。欲来悩人。聞其称観世音菩薩名者。 是諸悪鬼。尚不能以悪眼視之。況復加害。 設復有人。若有罪。若無罪。チュウ(木+丑)械枷鎖。検繋其身。 称観世音菩薩名者。皆悉断壊即得解脱。 若三千大千国土満中怨賊。有一商主。将諸商人。 齎持重宝。経過険路。其中一人。作是唱言。 諸善男子。勿得恐怖。汝等応当一心称観世音菩薩名号。 是菩薩。能以無畏。施於衆生。汝等若称名者。 於此怨賊。当得解脱。衆商人聞。倶発声言。 南無観世音菩薩。称其名故。即得解脱。無尽意。 観世音菩薩摩訶薩。威神之カ。巍巍如是。 若有衆生。多於婬欲。常念恭敬観世音菩薩。 便得離欲。若多瞋恚。常念恭敬観世音菩薩。便得 離瞋。若多愚痴。常念恭敬観世音菩薩。便得離痴。 無尽意。観世音菩薩。有如是等大威神力。多所饒益。 是故衆生。常応心念。若有女人。設欲求男。 礼拝供養観世音菩薩。生福徳智慧之男。設欲求女。 便生端正有相之女。宿値徳本。衆人愛敬。 無尽意。観世音菩薩。有如是力。若有衆生。 恭敬礼拝観世音菩薩。福不唐捐。是故衆生。 皆応受持観世音菩薩名号。無尽意。若有人。 受持六十二億恒河沙菩薩名字。復尽形供養飲食。 衣服。臥具。医薬。於汝意云何。是善男子。善女人。 功徳多不。無尽意言。甚多。世尊。佛言。 若復有人。受持観世音菩薩名号。乃至一時礼拝供養。 是二人福。正等無異。於百千万億劫。不可窮尽。 無尽意。受持観世音菩薩名号。得如是無量無辺。 福徳之利。無尽意菩薩。白佛言。世尊。 観世音菩薩。云何遊此娑婆世界。云何而為衆生説法。 方便之力。其事云何。佛告無尽意菩薩。善男子。 若有国土衆生。応以佛身得度者。観世音菩薩。 即現佛身。而為説法。応以辟支佛身得度者。 即現辟支佛身。而為説法。応以声聞身得度者。 即現声聞身。而為説法。応以梵王身得度者。 即現梵王身。而為説法。応以帝釈身得度者。 即現帝釈身而為説法。応以自在天身得度者。 即現自在天身。而為説法。応以大自在天身得度者。 即現大自在天身。而為説法。応以天大将軍身得度者。 即現天大将軍身。而為説法。応以毘沙門身得度者。 即現毘沙門身。而為説法。応以小王身得度者。 即現小王身。而為説法。応以長者身得度者。 即現長者身。而為説法。応以居士身得度者。 即現居士身。而為説法。応以宰官身得度者。 即現宰官身。而為説法。応以婆羅門身得度者。 即現婆羅門身。而為説法。 応以比丘比丘尼優婆塞優婆夷身得度者。 即現比丘比丘尼。優婆塞優婆夷身。而為説法。 応以長者。居士。宰官。婆羅門。婦女身。得度者。 即現婦女身。而為説法。応以童男。童女身得度者。 即現童男。童女身。而為説法。応以天。龍。 夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩ゴ(目+侯)羅伽。 人非人等身得度者。即皆現之。而為説法。 応以執金剛神。得度者。即現執金剛神。而為説法。 無尽意。是観世音菩薩。成就如是功徳。以種種形。 遊諸国土。度脱衆生。是故汝等。 応当一心供養観世音菩薩。是観世音菩薩摩訶薩。 於怖畏急難之中。能施無畏。是故此娑婆世界。 皆号之為施無畏者。無尽意菩薩。白佛言。世尊。 我今当供養観世音菩薩。即解頸衆宝珠瓔珞。 価直百千両金。而以与之。作是言。仁者。 受此法施。珍宝瓔珞。時観世音菩薩。不肯受之。 無尽意。復白観世音菩薩言。仁者。愍我等故。 受此瓔珞。爾時佛告観世音菩薩。 当愍此無尽意菩薩。及四衆。天。龍。夜叉。 乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩ゴ(目+侯)羅伽。 人非人等故。受是瓔珞。即時観世音菩薩。 愍諸四衆。及於天。龍。人非人等。受其瓔珞。 分作二分。一分奉釈迦牟尼佛。一分奉多宝佛塔。 無尽意。観世音菩薩。有如是自在神力。 遊於娑婆世界。爾時無尽意菩薩。以偈問曰。
(以下普門品偈)
世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁  名為観世音 具足妙相尊 偈答無尽意  汝聴観音行 善応諸方所 弘誓深如海  歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願  我為汝略説 聞名及見身 心念不空過  能滅諸有苦 仮使興害意 推落大火坑  念彼観音力 火坑変成池 或漂流巨海  龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没  或在須弥峯 為人所推堕 念彼観音力  如日虚空住 或被悪人逐 堕落金剛山  念彼観音力 不能損一毛 或値怨賊繞  各執力加害 念彼観音力 咸即起慈心  或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力  刀尋段段壊 或囚禁枷鎖 手足被チュウ(木+丑)械  念彼観音力 釈然得解脱 咒詛諸毒薬  所欲害身者 念彼観音力 還著於本人  或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力  時悉不敢害 若悪獣囲繞 利牙爪可怖  念彼観音力 疾走無辺方 ガン(虫+元)蛇及蝮蠍  気毒煙火燃 念彼観音力 尋声自回去  雲雷鼓掣電 降雹ジュ(樹 木→サンズイ)大雨 念彼観音力  応時得消散 衆生被困厄 無量苦逼身  観音妙智力 能救世間苦 具足神通力  広修智方便 十方諸国土 無刹不現身  種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦  以漸悉令滅 真観清浄観 広大智慧観  悲観及慈観 常顔常瞻仰 無垢清浄光  慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間  悲体戒雷震 慈意妙大雲 ジュ(樹 木→サンズイ)甘露法雨  滅除煩悩焔 諍訟経官処 怖畏軍陣中  念彼観音力 衆怨悉退散 妙音観世音  梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念  念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄  能為作依怙 具一切功徳 慈眼視衆生  福聚海無量 是故応頂礼
爾時。持地菩薩。即従座起。前白佛言。世尊。 若有衆生。聞是観世音菩薩品。自在之業。 普門示現。神通力者。当知是人。功徳不少。 佛説是普門品時。衆中八万四千衆生。皆発無等等 阿耨多羅三藐三菩提心。


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◆ 寿 量 品
(妙法蓮華経如来寿量品第十六)

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※寿量品中《非人》の語は、人権上注意を要する
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 寿 量 品(妙法蓮華経如来寿量品第十六)
爾時佛告。諸菩薩。及一切大衆。諸善男子。 汝等当信解。如来誠諦之語。復告大衆。 汝等当信解如来誠諦之語。又復告諸大衆。 汝等当信解。如来誠諦之語。是時菩薩大衆。 弥勒為首。合掌白佛言世尊。唯願説之。 我等当信受佛語。如是三白已。復言唯願説之。 我等当信受佛語。爾時世尊。知諸菩薩。三請不止。 而告之言。汝等諦聴。如来秘密。神通之力。 一切世間。天人及阿修羅。皆謂今釈迦牟尼佛。 出釈氏宮。去伽耶城不遠。坐於道場。 得阿耨多羅三藐三菩提。然善男子。我実成佛已来。 無量無辺。百千万億。那由佗劫。 譬如五百千万億那由佗。阿僧祇。三千大千世界。 仮使有人。抹為微塵。過於東方五百千方億那由佗。 阿僧祇国。乃下一塵。如是東行。尽是微塵。 諸善男子。於意云何。是諸世界。可得思惟校計。 知其数不。弥勒菩薩等。倶白佛言。世尊。 是諸世界無量無辺。非算数所知。亦非心力所及。 一切声聞。辟支佛。以無漏智。不能思惟。 知其限数。我等住阿惟越致地。於是事中。 亦所不達。世尊。如是諸世界。無量無辺。 爾時佛告。大菩薩衆。諸善男子。今当分明宣語。 汝等。是諸世界。若著微塵。及不著者。尽以為塵。 一塵一劫。我成佛已来。復過於此。百千万億。 那由佗。阿僧祇劫。自従是来。我常在此娑婆世界。 説法教化。亦於余処百千万億那由佗阿僧祇国。 導利衆生。諸善男子。於是中間。我説然灯佛等。 又復言。其入於涅槃。如是皆以方便分別。 諸善男子。若有衆生。来至我所。我以佛眼。 観其信等。諸根利鈍。随所応度。処処自説。 名字不同。年紀大小。亦復現言。当入涅槃。 又以種種方便。説微妙法。能令衆生。発歓喜心。 諸善男子。如来見諸衆生。楽於小法。徳薄垢重者。 為是人説。我少出家。得阿耨多羅三藐三菩提。 然我実成佛已来。久遠若斯。但以方便。教化衆生。 令入佛道。作如是説。諸善男子。如来所演経典。 皆為度脱衆生。或説己身。或説佗身。或示己身。 或示佗身。或示己事。或示佗事。諸所言説。 皆実不虚。所以者何。如来如実知見。三界之相。 無有生死。若退若出。亦無在世。及滅度者。 非実非虚。非如非異。不如三界。見於三界。 如斯之事。如来明見。無有錯謬。以諸衆生。 有種種性。種種欲種種行。種種憶想分別故。 欲令生諸善根。以若干因縁。譬諭言辞。種種説法。 所作佛事。未曽暫廃。如是我成佛已来。甚大久遠。 寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅。諸善男子。 我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数。 然今非実滅度。而便唱言。当取滅度。如来以是方便。 教化衆生。所以者何。若佛久住於世。薄徳之人。 不種善根。貧窮下賎。貪著五欲入於憶想。 妄見網中。若見如来。常在不滅。便起・恣。 而懐厭怠。不能生於難遭之想。恭敬之心。 是故如来。以方便説。比丘当知。諸佛出世。 難可値遇。所以者何。諸薄徳人。過無量百千万億劫。 或有見佛。或不見者。以此事故。我作是言。 諸比丘。如来難可得見。斯衆生等。聞如是語。 必当生於。難遭之想。心懐恋慕。渇仰於佛。 便種善根。是故如来。雖不実滅。而言滅度。 又善男子。諸佛如来。法皆如是。為度衆生。 皆実不虚。譬如良医。智慧聡達。明練方薬。 善治衆病。其人多諸子息。若十二十。乃至百数。 以有事縁。遠至余国。諸子於後。飲佗毒薬。 薬発悶乱。宛転干地。是時其父還来帰家。 諸子飲毒。或失本心。或不失者。遥見其父。 皆大歓喜。拝跪問訊。善安穏帰。我等愚痴。 誤服毒薬。願見救療。更賜寿命。父見子等。 苦悩如是。依諸経方。求好薬艸。色香美味。 皆悉具足。擣シ(竹+徒)和合。与子令服。而作是言。 此大良薬。色香美味。皆悉具足。汝等可服。 速除菩悩。無復衆患。其諸子中。不失心者。 見此良薬。色香倶好。即便服之。病尽除愈。 余失心者。見其父来。雖亦歓喜問訊求索治病。 然与其薬。而不肯服。所以者何。毒気深入。 失本心故。於此好色香薬。而謂不美。父作是念。 此子可愍。為毒所中。心皆顛倒。雖見我喜。 求索救療。如是好薬。而不肯服。我今当設方便。 令服此薬。即作是言汝等当知。我今衰老。 死時已至。是好良薬。今留在此。汝可取服。 勿憂不差。作是教已。復至佗国。遺使還告。 汝父已死。是時諸子。聞父背喪。心大憂悩。 而作是念。若父在者。慈愍我等。能見救議。 今者捨我。遠喪佗国。自惟孤露。無復恃怙。 常懐悲感。心遂醒悟。乃知此薬。色香味美。 即取服之。毒病皆愈。其父聞子。悉已得差。 尋便来帰。咸使見之。諸善男子。於意云何。 頗有人能。説此良医。虚妄罪不。不也世尊。 佛言我亦如是。成佛已来。無量無辺。百千万億。 那由佗。阿僧祇劫。為衆生故。以方便力言当滅度。 亦無有能。如法説我虚妄過者。爾時世尊。 欲重宣此義。而説偈言。
(以下寿量品偈)
自我得佛来 所経諸劫数 無量百千万  億載阿憎祇 常説法教化 無数億衆生  令入於佛道 爾来無量劫 為度衆生故  方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法  我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生  雖近而不見 衆見我滅度 広供養舎利  咸皆懐恋慕 而生渇仰心 衆生既信伏  質直意柔ナン(車+而+大) 一心欲見佛 不自惜身命  時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生  常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅  余国有衆生 恭敬信楽者 我復於彼中  為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度  我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身  令其生渇仰 因其心恋慕 乃出為説法  神通力如是 於阿僧祇劫 常在霊鷲山  及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時  我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣  種種宝荘厳 宝樹多華果 衆生所游楽  諸天撃天鼓 常作衆伎楽 雨曼陀羅華  散佛及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽  憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生  以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞三宝名  諸有修功徳 柔和質直者 則皆見我身  在此而説法 或時為此衆 説佛寿無量  久乃見佛者 為説佛難値 我智力如是  慧光照無量 寿命無数劫 久修業所得  汝等有智者 勿於此生疑 当断令永尽  佛語実不虚 如医善方便 為治狂子故  実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父  救諸悪患者 為凡夫顛倒 実在而言滅  以常見我故 而生キョウ(性 生→喬)恣心 放逸著五欲  堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道  随応所可度 為説種種法 毎自作是念  以何令衆生 得入無上道 速成就佛身


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◆ 神 力 品
(和文 妙法蓮華経如来神力品第二十一)

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※神力品中《非人》の語は、人権上注意を要する
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  神 力 品(和文 妙法蓮華経如来神力品第二十一)
 爾の時に、千世界微塵等の菩薩摩訶薩、地より湧出せる者、皆佛前に於いて一心に合掌し、尊顔を瞻仰して佛に白して言さく、 「世尊、我等佛滅後に於いて、世尊分身の所在の国土、滅度の処にして当に広く此の経を説くべし。所以は何ん。 我等亦自ら是の真浄の大法を得て、受持読誦し、解説書写して、之を供養せんと欲す。」
 爾の時に世尊、文殊師利等の無量百千万億の旧住娑婆世界の菩薩摩訶薩、及び諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩ゴ(目+侯)羅伽・人・非人等の一切の衆の前に於いて、大神力を現じたもう。  広長舌を出して、上梵世に至らしめ、一切の毛孔より、無量無数色の光を放ちて、皆悉くアマネ(彳+扁)く十方世界を照したもう。
 衆の宝樹の下の、師子座の上の諸佛も、亦復是の如く、広長舌を出し、無量の光を放ちたもう。 釈迦牟尼佛及び宝樹の下の諸佛、神力を現じたもう時、百千歳を満ず。 然して後に還りて舌相を摂めて一時に謦ガイ(亥+欠)し、倶共に弾指したもう。 是の二つの音声アマネ(彳+扁)く十方の諸佛世界に至りて地皆六種に震動す。 其の中の衆生、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩ゴ(目+侯)羅伽・人・非人等、佛の神力を以つての故に皆此の娑婆世界無量無辺百千万億の衆の宝樹の下の師子座の上の諸佛を見、及び釈迦牟尼佛、多宝如来と共に宝塔の中に在して師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又、無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、釈迦牟尼佛を恭敬し囲繞したてまつるを見る。  既に是を見已りて皆大いに歓喜して未曽有なることを得。 即時に諸天虚空の中に於いて、高声に唱えて言わく、「此の無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて国有り、娑婆と名く。 是の中に佛在す。釈迦牟尼と名けたてまつる。今諸の菩薩摩訶薩の為に、大乗経の妙法蓮華教、菩薩法、佛所護念と名くるを説きたもう。 汝等当に深心に随喜すべし。亦当に、釈迦牟尼佛を礼拝し供養すべし。」
 彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已りて、合掌して娑婆世界に向いて、是の如き言を作さく、「南無釈迦牟尼佛、南無釈迦牟尼佛」と。 種種の華香、瓔珞、旛葢、及び諸の厳身の具、珍宝、妙物を以つて皆共に遥かに娑婆世界に散ず。 散ずる所の諸物、十方より来ること、譬えば雲の集るが如し。変じて宝帳と成りて、アマネ(彳+扁)く此の間の諸佛の上を覆う。時に十方世界通達無礙なること、一佛土の如し。
 爾の時に佛、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、「諸佛の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。 若我、是の神力を以つて無量無辺百千万億阿僧祇劫に於いて、嘱累の為の故に、此の経の功徳を説くとも猶尽す事能わず。 要を以つて之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す。 是の故に汝等、如来の滅後に於いて、応当に一心に受持、読誦、解説、書写して、説の如く修行すべし。所在の国土に若しは受持、読誦、解説、書写して、説の如く修行すること有らん。 若しは経巻所住の処、若しは園中に於いても、若しは林中に於いても、若しは樹下に於いても、若しは僧房に於いても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在りても、若しは山谷曠野にても、是の中に、皆応に塔を起てて供養すべし。 所以は何。当に知るべし。是の処は即ち是道場なり。諸佛此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸佛此に於いて法輪を転じ、諸佛此に於いて般涅槃したもう。」
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく、「諸佛救世者。大神通に住して、衆生を悦ばしめんが為の故に、無量の神力を現じたもう。 舌相梵天に至り、身より無数の光を放ちて、佛道を求むる者の為に、此の希有の事を現じたもう。 諸佛謦ガイ(亥+欠)の声、及び弾指の声、周く十方の国に聞えて、地皆六種に動ず。 佛滅度の後に、能く是の経を持たんを以つての故に、諸佛皆歓喜して無量の神力を現じたもう。 是の経を嘱累せんが故に、受持の者を讃美すること、無量劫の中に於いてすとも猶故尽くすこと能わじ。 是の人の功徳は無辺にして窮りあること無けん、十方の虚空の辺際を得べからざるが如し。 能く是の経を持たん者は、則ち是已に我を見、亦多宝佛、及び諸の分身者を見、又我が今日教化せる諸の菩薩を見るなり。 能く是の経を持たん者は、我及び分身滅度の多宝佛をして、一切皆歓喜せしめ、十方現在の佛、竝びに過去未来、亦は見亦は供養し、亦は歓喜することを得せしめん。 諸佛の道場に坐して得たまえる所の秘要の法、能く是の経を持たん者は、久しからずして亦当に得べし。 能く是の経を持たん者は、諸法の義、名字及び言辞に於いて、楽説窮尽無きこと風の空中に於いて一切障礙無きが如くならん。 如来の滅後に於いて、佛の所説の経の因縁及び次第を知りて、義に随いて実の如く説かん。 日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅し無量の菩薩をして、畢竟じて一乗に住せ教めん。 是の故に智有らん者、此の功徳の利を聞きて、我が滅度の後に於いて、応に斯の経を受持すべし。 是の人佛道に於いて、決定して疑有ること無けん。」


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◆ 参 同 契
中国禅宗祖師石頭希遷(700-791)

 参 同 契      中国禅宗祖師石頭希遷(700-791)
竺土大仙の心、東西密に相附す、人根に利鈍あり、道に南北の祖なし、霊源明に皓潔たり、支派暗に流注す、事を執するも元これ迷い、理に契うも亦悟にあらず、門門一切の境、回互と不同互と、回してさらに相渉る、しからざれば位によつて住す、色もと質像を殊にし声もと楽苦を異にす、暗は上中の言に合い、明は清濁の句を分つ、四大の性おのずから復す、子の其の母を得るがごとし、火は熱し、風は動揺、水は湿い地は堅固、眼は色、耳は音声、鼻は香、舌はカン(鹵+咸)酢、しかも一一の法において、根によつて葉分布す、本末すべからく宗に帰すべし、尊卑其の語を用ゆ、明中に当つて暗あり、暗相をもつて遇うことなかれ、暗中に当つて明あり、明相をもつて覩ることなかれ、明暗おのおの相対して、比するに前後の歩のごとし、万物おのずから功あり、当に用と処とを言うべし、事存すれば函蓋合し、理応ずれば箭鋒サソ(抂 王→主)う、言を承てはすべからく宗を会すべし、みずから規矩を立することなかれ、触目道を会せずんば、足を運ぶもいづくんぞ路を知らん、歩をすすむれば近遠にあらず、迷て山河の固をへだつ、謹んで参玄の人にもうす、光陰虚しく度ることなかれ。


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◆ 宝 鏡 三 昧
中国禅宗祖師洞山良价(807-869)

 宝 鏡 三 昧      中国禅宗祖師洞山良价(807-869)
如是の法、佛祖密に附す、汝今これを得たり、宜しく能く保護すべし、 銀ワン(苑-廾+皿)に雪を盛り、明月に鷺を蔵す、類して斉からず、混ずるときんば処を知る、 意言に在ざれば来機亦おもむく、動ずればカ(穴+果)臼をなし、差ば顧佇に落つ、 背触ともに非なり、大火聚の如し、但文彩に形せば、即ち染汚に属す、 夜半正明、天暁不露、物のために則となる、用いて諸苦をぬく、 有為にあらずといえども、是語なきにあらず、 宝鏡にのぞんで、形影相い覩るがごとし、汝これ渠にあらず、 かれ正に是なんじ、世の嬰児の五相完具するが如し、 不去不来、不起不住、婆婆和和、有句無句、ついに物を得ず、 語いまだ正しからざるがゆえに、重離六爻、偏正回互、 畳んで三となり、変じ尽きて五となる、チ(廾+至)草の味のごとく、金剛の杵のごとし、 正中妙挾、敲唱雙びあぐ、宗に通じ途に通ず、 挾帯挾路、錯然なるときんば吉なり、犯忤すべからず、 天真にして妙なり、迷悟に属せず、因縁時節、寂然として照著す、 細には、無間に入り、大には方所を絶す、毫忽の差、律呂に応ぜず、 今頓漸あり、宗趣を立するによつて、宗趣わかる、即ち是れ規矩なり、 宗通じ趣極るも、真常流注、外寂に内揺くは、繋げる駒、 伏せる鼠(繋駒伏鼠)先聖これを悲しんで、法の檀度となる、 其の顛倒に随つて、緇をもつて素となす、顛倒想滅すれば、 コウ( 且→月)心みずから許す、古轍に合わんと要せば、請う前古を観ぜよ、 佛道を成ずるになんなんとして、十劫樹を観ず、 虎の欠たるがごとく、馬のヨメ(馬+廾)の如し(虎の欠の如く馬のシュ(馬+廾)の如し)、 下劣あるをもつて、宝几珍御、驚異あるをもつて、狸奴白狐、 ゲイ(羽+廾)は巧力をもつて、射て百歩に中つ、箭鋒あい値う、 巧力なんぞ預らん、木人まさに歌い、石女たつて舞う、 情識の到にあらず、むしろ思慮を容んや、 臣は君に奉し、子は父に順ず、順ぜざれば孝にあらず、奉せざれば輔にあらず、 潜行密用は、愚のごとく魯のごとし、 只能く相続するを、主中の主と名く。


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◆ 証 道 歌
中国禅宗祖師永嘉玄覚(675-713)

 証 道 歌           中国禅宗祖師永嘉玄覚(675-713)
1 絶学
君見ずや、 絶学無為の閑道人、妄想を除かず真を求めず、 無明の実性即佛性、幻化の空身即法身、 法身覚了すれば無一物、本源自性天真佛、 五陰の浮雲は空去来、三毒の水泡は虚出没、 実相を証すれば人法無し、刹那に滅却す阿鼻の業、 若し妄語を将て衆生を誑わさば自から抜舌を招くこと塵沙劫ならん、 頓に如来禅を覚了すれば、六度万行体中に円なり、 夢裡明明として六趣有り、覚めて後空空として大千も無し、 罪福も無く損益も無し、寂滅性中問覓すること莫れ、 比来の塵鏡未だ曽て磨さず、今日分明に須らく剖拆すべし、 誰か無念誰か無生、若し実に無生ならば不生も無し、 機関木人を喚取して問え、佛を求め功を施さば早晩か成ぜん、
2 四大
四大を放つて把捉すること莫れ、寂滅性中随つて飲啄せよ、 諸行は無常にして一切空なり、即ち是れ如来の大円覚、 決定の説は真僧を表す、人有り肯わずんば情に任せて徴せよ、 直に根源を截るは佛の印する所、葉を摘み枝を尋ぬるは我れ能わず、 摩尼珠人識らず、如来蔵裡に親しく収得す、 六般の神用空不空、一顆の円光色非色、 五眼を浄うし五力を得、唯証して乃ち知る測る可きこと難し、 鏡裡に形を看る見こと難からず、水中に月を捉う争か拈得せん、 常に独り行き常に独り歩す、達者同じく遊ぶ涅槃の路、 調べ古り神清うして風自から高し、貌カジ(卒+頁)け骨剛うして人顧みず、
3 窮釈子
窮釈子口に貧を称す、実に是れ身貧にして道貧ならず、 貧なれば身常に縷褐を被す、道あれば心に無価の珍を蔵む、 無価の珍は用うれども尽ること無し、物を利し縁に応じて終に怯まず、 三身四智体中に円なり、八解六通心地に印す、 上士は一決して一切了す、中下は多聞なれども多く信ぜず、 但自から懐中に垢衣を解け、誰れか能く外に向つて精進に誇らん、 他の謗するに従す他の非するに任す、火を把つて天を焼く徒に自ら疲る、 我れ聞いて恰も甘露を飲むが如し、銷融して頓に不思議に入る、 悪言は是れ功徳なりと観ずれば、此れ即ち吾が善知識と成る、 セン(言+山)謗に因つて怨親を起さざれば、何ぞ無生慈忍の力を表せん、 宗も亦通じ説も亦通ず、定慧円明にして空に滞らず、 但我れ今独り達了するのみに非ず、恒沙の諸佛体皆同じ、 獅子吼無畏の説、百獣之を聞いて皆脳裂す、 香象奔波するも威を失却す、天龍寂に聴いて欣悦を生ず、
4 行も亦禅坐も亦禅
江海に遊び山川を渉り、師を尋ね道を訪うて参禅を為す、 曹渓の路を認得してより、生死相関らざることを了知す、 行も亦禅坐も亦禅、語黙動静体安然、 縦い鋒刀に遇うとも常に坦坦、仮饒毒薬も亦間間、 我が師然灯佛に見ゆることを得て、多劫曽て忍辱仙と為る、 幾回か生じ幾回か死す、生死悠悠として定止無し、 頓に無生を悟了してより、諸の栄辱に於いて何ぞ憂喜せん 深山に入り蘭若に住す、岑崟幽邃たり長松の下、 優遊として静坐す野僧が家、ゲキ(門+貝)寂たる安居実に瀟洒、
5 覚すれば即ち了ず
覚すれば了じて功を施さず、一切有為の法と同じからず、 住相の布施は生天の福、猶箭を仰いで虚空を射るが如し、 勢力尽きぬれば箭還つて堕つ、来生の不如意を招き得たり、 争でか似かん無為実相の門、一超直入如来地なるに、 但本を得て末を愁うること莫れ、浄瑠璃に宝月を含むが如し、 我今此の如意珠を解す、自利利他終に竭きず、 江月照し松風吹く、永夜の情宵何の所為ぞ、 佛性の戒珠心地に印す、霧露雲霞体上の衣、 降龍の鉢解虎の錫、両鈷の金環鳴て歴歴、 是れ形を標して虚しく事持するにあらず、如来の宝杖親しく蹤跡す、
6 真を求めず妄を断ぜず
真をも求めず妄をも断ぜず、二法空にして無相なることを了知す、 無相は空無く不空も無し、即ち是れ如来の真実相、 心鏡明かに鑑みて碍り無し、廓然として瑩徹して沙界に周し、 万象森羅影中に現ず、一顆の円光内外に非ず、 豁達の空は因果を撥う、莽莽蕩蕩として殃禍を招く、 有を棄て空に著く病も亦然り、還つて溺を避けて火を投ずるが如し、 妄心を捨て真理を取る、取捨の心、巧偽と成る、 学入了せずして修行を用う、真に賊を認めて将つて子と為ることを成す、 法財を損し功徳を滅することは、斯の心意識に由らずということ莫し、 是を以て禅門は心を了却す、頓に無生に入るは知見の力なり。
7 大丈夫
大丈夫慧剣を秉る、般若の鋒金剛の焔、 但能く外道の心を摧くのみに非ず、早く曽て天魔の胆を落却す、 法雷を震い法鼓を撃ち、慈雲を布き甘露を洒ぐ、 龍象の蹴蹌潤い無辺、三乗五性皆醒悟す、 雪山の肥膩更に雑りなし、純ら醍醐を出す我れ常に納む、 一性円に一切の性に通じ、一法アマネ(彳+扁)く一切の法を含む、 一月普く一切の水に現じ、一切の水月一月に摂す、 諸佛の法我が性に入り、我が性還つて如来と合す、 一地具足す一切地、色に非ず心に非ず行業に非ず、 弾指に円成す八万の門、刹邪に滅却す三祇劫、 一切の数句は数句に非ず、吾が霊覚と何んぞ交渉せん、
8 毀るべからず讃むべからず
毀るべからず讃むべからず、体虚空の若く涯岸なし、 当処を離れず常に湛然、覓むれば即ち知る君が見るべからざることを、 取ることを得ず捨つることを得ず、不可得の中只麼に得たり、 黙の時説説の時黙、大施門開いて壅塞なし、 人あり我に何の宗をか解すと問わば、報じて道わん摩訶般若の力と、 或は是或は非人識らず、逆行順行天も測ること莫し、 吾早く曽て多劫を経て修す、是れ等閑に相い誑惑するにあらず、
9 法幢
法幢を建て宗旨を立す、明明たる佛勅曹渓是れなり、 第一の迦葉首めに灯を伝う、二十八代西天の記、 江海を経て此の土に入る、菩提達磨を初祖となす、 六代の伝衣天下に聞ゆ、後人の得道何んぞ数を窮めん、 真をも立せず妄本空なり、有無倶に遣れば不空も空なり、 二十の空門元着せず、一性の如来体自から同じ、 心は是れ根法は是れ塵、両種猶鏡上の痕の如し、 痕垢尽き除いて光り始めて現ず、心法雙べ亡じて性則ち真なり、 嗟末法の悪時世、衆生薄福にして調制し難し、 聖を去ること遠して邪見深し、魔強く法弱うして怨害多し、 如来頓教の門を説くことを聞いて、滅除して瓦の如く砕かしめざることを恨む、 作は心に在り殃は身に在り、怨訴して更に人を尤むることを須いざれ、 無間の業を招かざることを得んと欲せば、如来の正法輸を謗すること莫れ、
10 栴檀林
栴檀林に雑樹なし、欝密深沈として獅子のみ住す、 境静かに林間にして独り自ら遊ぶ、走獣飛禽皆遠く去る、 獅子児衆後に随う、三歳にして便ち能く大に哮吼す、 若し是れ野干法王を逐うならば百千の妖怪も虚に口を開かん、 円頓の教は人情没し、疑あつて決せずんば直に須らく争うべし、 是れ山僧が人我を逞ゆうするにあらず、修行恐くは断常の坑に堕せん、 非も非ならず是も是ならず、之に差うこと毫釐もすれば失すること千里、 是なるときんば龍女も頓に成佛し非なるときんば善星も生きながら陥墜す、 吾れ早年より来学問を積み、亦曽て疏を討ね経論を尋ぬ 名相を分別して休することを知らず、海に入りて砂を算えて徒に自ら困す、 却つて如来に苦に呵責せらる、他の珍宝を数えて何んの益かあると、 従来ソウ(足+曽)トウ(足+登)として虚りに行することを覚ゆ、多年枉て風塵の客となる、
11 観自在
種性邪なれば錯つて知解す、如来円頓の制に達せず、 二乗は精進にして道心なく、外道は聡明にして智慧なし、 亦愚痴亦小ガイ(馬+矣)、空拳指上に実解を生ず、 指を執して月となす枉て功を施す、根境法中虚りに捏怪す、 一法を見ざれば即ち如来、方に名けて、観自在と為すことを得たり、 了ずれば業障本来空、未だ了ぜざれば、還つて須らく宿債を償うべし、 飢えて王膳に逢うとも喰うこと能わずんば、病んで医王に遇うとも争かイ(病 丙→差)ゆることを得ん、 欲にあつて禅を行ずるは知見の力なり、火中に蓮を生ず終に壊せず、 勇施重を犯して無生を悟り、早時成佛して今にあり、 獅子吼無畏の説深く嗟く、モウ(性 生→蒙)憧たる頑皮靼、 但犯重の菩提を障うることを知つて、如来の秘訣を開くことを見ず、 二比丘あり淫殺を犯す、波離の螢光罪結を増す、 維摩大士頓に疑いを除く、猶赫日の霜雪を銷するが如し、
12 解脱の力
不思議解脱の力、妙用恒沙亦極りなし、 四事の供養敢て労を辞せんや、万両の黄金も亦消得す、 粉骨砕身も未だ酬ゆるに足らず、一句了然として百億を超ゆ、 法中の王最も高勝、河沙の如来同く共に証す、 我れ今この如意珠を解す、之を信受するものは皆相応す、 了了として見るに一物も無し亦人も無く亦佛も無し、 大千沙界中のアワ(サンズイ+區)、一切の賢聖は電の払うが如し、 仮使鉄輸頂上に旋るも、定慧円明にして終に失せず、 日は冷なるべく月は熱かるべくとも、衆魔も真説を壊すること能わず、 象駕崢コウ(山+榮)として漫に途に進む、誰か見る蟷螂の能く轍を拒むことを、 大象兎径に遊ばず、大悟小節に拘らず、 管見を将つて蒼蒼を謗すること莫れ、未だ了ぜずんば吾今君が為に決せん。


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◆ 信 心 銘
中国禅宗三祖鑑智僧サン(王+粲)

 信 心 銘          中国禅宗三祖鑑智僧サン(王+粲)
1 至道
至道無難、唯嫌揀択、但憎愛莫ければ、洞然として明白なり。
毫釐も差有れば、天地懸に隔たる、現前を得んと欲せば、順逆を存すること莫れ。
2 違順
違順相争う、是を心病と為す、玄旨を識らざれば、徒に念静に労す。
円なること大虚に同じ、欠ること無く余ること無し、良に取拾に由る、所以に不如なり。
有縁を逐うこと莫れ、空忍に住すること勿れ、一種平懐なれば、泯然として自から尽く、 動を止めて止に帰すれば、止更に弥よ動ず、唯両辺に滞らば、寧ろ一種を知らんや。
一種通ぜざれば、両処に功を失す、有を遣れば有に没し、空に随えば空に背く、 多言多慮、転た相応せず、絶言絶慮、処として通ぜずということ無し。
根に帰すれば旨を得、照に随えば宗を失す、須臾も返照すれば、前空に勝却す、 前空の転変は、皆妄見に由る、真を求むることを用いざれ、唯須らく見を息むべし。
3 二見
二見に住せず、慎んで追尋すること勿れ、纔に是非あれば、紛然として心を失す、 二は一に由て有り、一も亦守ること莫れ、一心生ぜざれば、万法に咎なし。
咎無ければ法無し、生ぜざれば心ならず、能は境に随つて滅し、境は能を逐うて沈す、 境は能に由て境たり、能は境に由て能たり、両段を知らんと欲せば、元是れ一空、 一空両に同く、斉しく万象を含む、精粗を見ず、寧ぞ偏党あらんや。
4 小見
大道体寛にして、難無く易無し、小見は狐疑す、転た急なれば転た遅し、 之を執すれば度を失して、必ず邪路に入る、之を放てば自然なり、体に去住無し。
性に任ずれば道に合う、逍遥として悩を絶す、繋念は真に乖く、昏沈は不好なり、 不好なれば神を労す、何ぞ疎親することを用いん、一乗に趣かんと欲せば、 六塵を悪むこと勿れ、六塵悪まざれば、還て正覚に同じ、智者は無為なり、愚人は自縛す。
法に異法なし、妄りに自から愛着す、心を持つて心を用う、豈大錯に非ざらんや、 迷えば寂乱を生じ、悟れば好悪なし、一切の二辺、妄りに自から斟酌す、 夢幻空華、何ぞ把捉に労せん、得失是非、一時に放却せよ。
5 一如
眼若し睡らざれば、諸夢自から除く、心若し異ならざれば、万法一如なり、 一如体玄なり、兀爾として縁を忘ず、万法斉しく観ずれば、帰復自然なり、 其の所以を泯ぜば、方比すべからず、動を止むるに動なく、止を動ずるに止なし。
両既に成らず、一何ぞ爾ること有らん、究竟窮極、軌則を存せず、 契心平等なれば、所作倶に息む、狐疑浄尽して、正信調直なり、 一切留らず、記憶す可きこと無し、虚明自照、心力を労せざれ、 非思量の処、識情測り難し。
6 真如
真如法界、他無く自無し、急に相応せんと要せば、唯不二と言う、 不二なれば皆同じ、包容せずと言こと無し、十方の智者、皆此宗に入る。
宗は促延に非ず、一念万年、在と不在と無く十方目前、 極小は大に同く、境界を忘絶す、極大は小に同く、辺表を見ず。
有即ち是無、無即ち是有、若是くの如くならずんば、必ず守ることを須いざれ、 一即一切、一切即一、但能く是くの如くならば、何ぞ不畢を慮らん、 信心不二、不二信心、言語道断、去来今に非ず。


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 龍=竜 佛=仏 痴=癡 檗=蘗  ※その他 部分的に現代表記で掲載しています